5者のコラム 「易者」Vol.146

他人の予測不可能性と折り合うこと

内田樹先生が教育に関して素晴らしい比喩をあげておられます。
 

どうしてこんなに生命力が衰えたのか。本書では語り切れなかったので、ちょっとだけここで加筆しておきますけど、その理由の1つは産業構造の変化だと思います。農作物をつくった経験のある人が少なくなった。種子を土に蒔き水や肥料をやって・太陽に照らし・病虫害から守っていると、ある日芽が出てきて作物が得られる。人がかかわることのできるのはこのプロセスのごく一部に過ぎません。他にあまりに多くのファクターが関与するのでどんなものが出来るのかを正確に予測することはできません。だから「豊作」を喜び「凶作」に涙した。でも今はそんなふうにものを考える人はもう少数派です。現代人が「ものを作る」という時にまず思い浮かべるのは工場で工業製品を作る工程だからです。

「生きた人間と付き合う」とは他人の予見不可能性と折り合うことです。自分が知っているのは他人のごく一部です。同様に他人が知っている自分だって自分のごく一部です。多くのファクターが関与するので、どんな人的関係が出来るのかを事前に予測することなど絶対に出来ません。社会の中で生じる雑多な紛争を手掛けることになる弁護士は「工業モデル」ではなく「農業モデル」を脳の中に構築しておくべきです。私たちの仕事の対象は工業のようなモノではなく農業のような生命体だからです。日頃から種子を土に蒔いて・水や肥料をやって・太陽の恵みを受け・病虫害から守る。その結果(運が良ければ)ある日芽が出てきて作物が得られる(かもしれない)。実際に作物を育てるのは自然の力です。だからこそ自然(神様的なもの)に感謝する。弁護士業務でも「自力」を過信しすぎるのは思わぬ過誤を招きます。大いなる「他力」を意識することも必要だと考えます。