仕事の職業的側面と道楽的側面
私は漫画家と作家を題材に仕事の道楽的側面と職業的側面の相克を描きました(5者58)。昔から多くの人が両者の矛盾に苦しんできました。夏目漱石はこの問題を考察した先達です。
漱石は講演(明治44年8月13日・明石)でこう述べます。
職業というものは要するに人のためにするものだということにどうしても根本義を置かなければなりません。人のためにする結果が己のためになるのだから元はどうしても他人本位である。すでに他人本位であるからには種類の選択・分量の多少すべてを目安にして働かなければならない。要するに取捨興廃の権威共に自己の手中にはないことになる。(略)どうしても他人本位では成り立たない職業があります。それは科学者・哲学者もしくは芸術家のようなもので、これらはまあ特別の一階級とでも見なすより他に仕方がないのです。(略)私は芸術家というほどのものではないが、まあ文学上の述作をやっているから、やはりこの種類に属する人間と云って差し支えないでしょう。しかも何か書いて生活費を取って食っているのです。手短に言えば文学を職業としているのです。けれども私が文学を職業とするのは人のためにする・すなわち己を捨てて世間のご機嫌を取り得た結果として職業としていると見るよりは、己のためにする結果すなわち自然なる文学上の芸術的心情の発現の結果が偶然人のためになって人の気に入っただけの報酬が物質的に自分に反響してきたと見るのが本当だろうと思います。
弁護士は職業として仕事をしています。したがって「人のためにするもの」(他人本位)であることを自覚しなければなりません。しかし弁護士の仕事には「己のためにするもの」(自分本位)という側面も含まれています。自分の信条に反する仕事は断る自由がありますし、金銭的に報われないけれど自分にとってやり甲斐のある仕事を選択する自由もあるのです。