人生ドラマの批評家
修習生時代の友人に芸人さんの息子がいます。芸名は「マルセ太郎」。私はマルセさんの生の芸を一度だけ修習地・熊本で拝見しました。前半はパントマイム・後半はスクリーンのない映画館です。前者は氏が若い頃から磨き上げてきたものです。猿や鶏の真似が著名ですが、単なる物真似ではありません。芸の合間に鋭い政治批評が語られます。政治批判の武器としてのパントマイムです。権力者を直接に批判すると命にかかわることが多かった昔、民衆は権力者を動物に見立てたり物真似をしたりして笑い飛ばしていました。この伝統に沿った芸なのです。が、氏の真骨頂は後半のスクリーンのない映画館にありました。観客の前で氏が映画のストーリーを語り、時には出演者になり切ってセリフを喋り、時には演じ、その映画の意味を語り尽くすものです。私が拝見したのは「泥の河」(小栗康平監督)ですが、目前に映画の一場面が蘇ってくるようでした。
マルセさんは「まるまる一冊マルセ太郎」(早川書房)にて多数の映画の批評を記しておられます。氏の映画評論を読んでいると、それだけで少し映画の見方が判ってくるような錯覚に陥ります。駄作に対する手厳しい悪口は映画に対する氏の愛情を物語っているかのようです。
他人の作品に対し意識的に批評をすることは恐ろしい行為。その批評が一人歩きして社会的な色眼鏡となってしまうことがあります。主体性の弱い人の場合、その色眼鏡を通してしかモノを見ることが出来なくなることがあるのです。法律家は他人の人生に法的評価を与えることが商売です。その意味で全ての法律家は他者が演じる人生ドラマの「批評家」(評論家)なのかもしれません。その評価が正しければ良いのですが間違っていた場合には凄まじい悪影響を及ぼします。法律家はそのことの恐ろしさを十分にわきまえて職務を遂行していかなければなりません。