了解可能性の物語を構築すること
哲学者は科学とかけ離れた世界を論じていると思われがちですが事実は逆。優れた哲学者ほど先端科学を考察対象としています。デカルトは「医学」カントは「物理学」ハイデガーは「生物学」から大きい影響を受けました。ユクスキュル「生物から見た世界」(岩波文庫)前文の記述。
行動主義心理学者の見解によると、われわれの感情やわれわれの意志は外見だけのものに過ぎず、せいぜい邪魔な雑音だと評価されるのが落ちである。しかし、われわれの感覚器官がわれわれの知覚に先立ち、われわれの運動器官がわれわれの働きかけに役立っているのではないかと考える人は、動物にも単に機械のような構造を見るだけではなく、それらの器官に組み込まれた機械操作係(Maschinist)を発見するであろう。われわれ自身がわれわれの身体に組み込まれているのと同じように。するとその人は、動物は単なる客体ではなく、知覚とその作用とをその本質的な活動とする主体だと見なすことになるであろう。しかし、そうなれば環世界に通じる門は既に開かれていることになる。なぜなら主体が知覚するものは全てその知覚世界(Merkwelt)になり、作用するものは全てその作用世界(Wirkwelt)になるからである。知覚世界と作用世界が連れ立って「環世界」(Umweit)という1つの完結した全体を作り上げているのだ。
ユクスキュルの斬新な提言を生物学会は全く黙殺しました。しかし、この斬新な発想はコンラッド・ローレンツなど次世代の生物学者に受け継がれるとともに現象学的存在論を展開したハイデガーに強い影響を与えました(木田元「ハイデガー『存在と時間』の構築」岩波現代文庫45頁)。「他人を理解する」とは、その人が属する世界のあり方を意識し、我が身に引きつけて「了解可能性」の物語を構築することです。弁護士にとっても不可欠の技法だと私は感じています。