主文は勝者のため・理由は敗者のため
修習生のときに指導担当から次の言葉を伺いました。「主文は勝者のためにある。理由は敗者のためにある。」私は感動し、以後自分の行動指針に据えてきました。民事訴訟において原告側代理人は請求の趣旨に記した主文を獲得することを目標に行動しています。請求の趣旨に表象される訴訟物を基礎づけるものとしての請求原因が主張立証されます。しかし原告側代理人にとって勝訴判決は「主文」だけで足りるものです。判決を得られれば当初目論んだ目的実現に向けて事後の手続を粛々と進めればよいのです。敗訴した場合(請求が棄却された場合)は「判決理由」を目標に控訴理由を練り上げることになります。被告側代理人にとって認容判決は意味が無いので示された「判決理由」を目標に控訴理由を練り上げることになります。反対に棄却判決に対しては原告側からの控訴が予想されるところですから控訴理由を待ち詳細に反論することになります。判決理由は敗者のためにあります。敗訴者は「何故に自分は負けたのか」という理由が明瞭に示されないと不完全燃焼の感覚(正義が実現されていない感覚)を残すことになります。逆に説得力ある判決理由を示されれば、控訴されずに、そのまま確定することになります。最近、敗訴した当事者から観て「この判決理由で負かされたら仕方がない」と言わしめるような説得力のある(感銘力のある)判決が減ってきた印象があります。若干、皮肉を込めて言えば「行政官のような」「心がこもっていない」判決が増えている印象があるのです。そんな判決であっても<勝者>にとっては問題がありません。勝者は主文だけ貰えればそれで良いからです。問題は<敗者>にとっての判決文の意味が希薄化していることなのです。「敗訴者が提出した主張と証拠にも裁判官は十分に目を通している」「この理由で負けたのなら仕方がない」と言わしめる感銘がなければ判決文に「紛争解決の力」は生まれません。