世間的思い込みとパターン認識
現代社会では「血液が酸素を運んでいる」事実は中学生でも知っていますが、これを発見したマイヤーの発想がどれほど凄いものであるか、あまり認識されていません。マイヤーが著書「血液ガス」を発表した1857年当時「液体が気体を運んでいる」なんて奇想天外な発想でした。マイヤーのイマジネーションの凄さにはただ驚くとしか言いようがないのです(久保田博南「医療機器の歴史・最先端技術のルーツを探る」真興交易医書出版部21頁)。
民事訴訟の中には「損害賠償」「建物収去土地明渡」「債権回収」「登記請求」等の類型があり各々の類型に更に細かい類型があります。一口に損害賠償といっても「医療過誤」「交通事故」「名誉毀損」「建築紛争」など多くの類型があります。かかる類型により弁護士は訴訟物を想定し、要件事実と主張立証方法を考えて事後の対応策を練っていきます。しかし、かかる分類は弁護士側で勝手に作っているものです。事件そのものは「生の事実」でありアプリオリな特性があるわけではありません。類型的思考(パターン認識)が一人歩きすると思わぬ間違いが生じることもあり得ます。何故なら社会に生じる紛争は千差万別であり、個々の事案の特殊性をよく認識してかからないと弁護士が当初考えていた事案の筋と全く別の様相が出現することが少なくないからです。パターン認識は弁護士の不可欠の技術ではありますが、過信すると思わぬ落とし穴があるかもしれません。
医師は子供の身体に虐待の痕跡がある場合、家庭内暴力の可能性を考え(児童相談所や家庭裁判所等との連携を考慮して)対応しているとの話を聞きます。「親だから子供のことを可愛がっているはず」という世間的思いこみは必ずしも真ではないのです。世間的思い込みを疑ってかかる、かような医師の姿勢を弁護士も見習うべき事案が大いにあるような気がします。