与えられた役柄をこなしている自分を評価する
村上春樹氏は期間限定ブログ「村上さんのところ」でこう述べます。
人はみんな、それぞれに役柄を与えられて生きています。その役柄をこなすことと自らに正直であることは必ずしも一致しません。というか一致しないことのほうが多いかもしれません。人は多かれ少なかれ、その不一致をうまくすり合わせながら生きています。でも、ときどき、そのすり合わせに疲れてしまいます。それはよく判ります。じゃあ、自分に他にどんな役柄の選択肢があるのか?普通の場合、あまりないですよね、たぶん。だとしたら、与えられた役柄を不足なくこなしている自分をできるだけ客観的にテクニカルに評価し、愛する(あるいはいとおしむ)ように努めるしかないんじゃないでしょうか。それを1つの個人的達成として捉えるというか。自らに正直な自分だけを愛していると、人生はいささか薄く、一面的になっていくんじゃないかという気がしなくもない。僕に言えるのはそれくらいです。いや、私はそんなすり合わせに終始する生き方はいやだ、もっと自分に正直に生きたいと言われたら、僕にもなんとも言いようはありません。それはまったくの正論ですから。
弁護士は依頼者から役柄を与えられて仕事しています。その役柄をこなすことと自分に正直であることは必ずしも一致しません。弁護士はこの不一致をすり合わせながら仕事しています。時々そのすり合わせに疲れてしまいますが、他に選択肢はありません。だとしたら与えられた役柄を過不足なくこなしている自分を大人として客観的に・テクニカルに評価し愛するよう努めるしかないんじゃないでしょうか。子供時代と比較しての個人的達成として捉える形で。弁護士が自らに正直な自分だけを愛していると弁護士生活は薄く一面的になるように思われます。ただ若い弁護士さんに「自分に正直に生きたい」と言われたら私には何とも言いようがありません。それは全くの正論ですから。