テキストとサブテキスト・意味情報と感情情報
鴻上尚史氏は「名セリフ」(ちくま文庫)でこう述べています。
セリフの下に隠された意味や感情のことを「サブ・テキスト」と言います。僕たちが普段しゃべる言葉には「サブ・テキスト」が存在しない言葉(つまり言ったままの意味通りの言葉)と 「サブ・テキスト」に溢れた言葉があります。(中略) チェーホフは僕たちに世界で最初に「サブ・テキスト」によって作品が成立するということを教えてくれた劇作家です。(中略)言葉は言葉のままではない・言った言葉と違う言葉がその言葉の下に流れているんだ、ということをチェーホフは僕たちに教えてくれました。そして言葉の下にどんな言葉が流れているのか・その下の言葉を探すことは(書かれた表面の)言葉を楽しむことと同じくらい楽しいことなんだ、ということも教えてくれたのです。(37頁以下)
表面的テキストは「意味情報」サブ・テキストは「感情情報」に置き換えることが出来ます。松田聖子『ロックンルージュ』には「♪キッスは嫌と言っても反対の意味よ♪」なる歌詞がありました。「嫌」という言葉も言葉が発せられる状況・言い方で「サブ・テキスト」が変わってきます。当事者は、これらを注意深く観察し、間違ったメッセージを発しないように・あるいは・受け取らないようにしなければなりません。セクシャルハラスメントは上記「テキストとサブ・テキスト」の取り違えから生じます。「キッスは嫌」と言っている人が文字通り「嫌」と感じているのか・「反対の意味よ」と感じているのかは論理では決められません(対人関係で決まる)。が、セクハラに陥らないようにするため「テキスト」や「意味情報」を偏重しすぎると「サブ・テキスト」や「感情情報」が生む楽しいコミュニケーションが失われます。大人として生きてゆくことって難しい。