ダブルバインドと演劇的観点
平田オリザ氏は「わかりあえないことから」(講談社現代新書)でこう述べています。
今の世の中はコミュニケーション能力のハードルが上がり続けており大変だ。友達とのメールでは気の利いたコメントが求められ、仕事でも簡潔なプレゼンが求められている。子供のコミュニケーション能力は低下しているのではない。社会の要求が高すぎるのだ。2つの要求に引き裂かれるダブルバインドの状態にある。求められている「空気を読んで他人に合わせなくちゃ」という同調圧力と「個性を発揮して他人と交際しなくちゃ」という異文化理解能力。これらに同時に対応するのは至難の業なのだ。(218頁)
不登校の子供に平田氏は次の言葉を与えます。
「そして彼らは口を揃えて「良い子を演じるのに疲れた」と言う。私は演劇人なので、「本気で演じたこともないくせに軽々しく『演じる』なんて使うな」といった話をする。もう一つ、彼らの言う口癖の1つに「本当の自分はこんなじゃない」というものがある。私は「でもさ、本当の自分なんて見つけたら大変なことになっちゃうよ・新興宗教の教祖にでもなるしかないよ」と言うことにしている。」(同頁)
若い頃はよくダブルバインド状態を経験します(医者50・11/9/3)。ダブルバインドの状態に置かれるときに「本当の自分」というものを素朴に信じ込んでいると疲れます。どうしたら良いのでしょう?ひとつの解決モデルが役者です。<与えられた役柄を舞台の上で演じているのだ>と考えれば気が少し楽になりませんか? ボスや依頼者からの要求が高すぎて困るのも<観客や演出家との相性が合わないなあ>と考えれば如何でしょう?演劇的な観点は自分の存在構造を相対化し精神をリセットする効果を有します。ダブルバインド状態に置かれて疲れている若き法曹の方々へ。時に「舞台を降りる」時に「本気で演じる」意識を持ちませんか?