シテとしての依頼者・ワキとしての弁護士
能のシテは面を着けて舞いをする舞台の主役です。これに対してワキは面も着けず地味な装束でシテの話を聞き出すだけの地味な存在です。ワキは多くの場合に「旅の僧」とされています。能の物語は多くの場合ワキがシテの話を聞き出すところから始まります。その後シテの本性がこの世に残恨の思いを残して成仏できずに出現した霊魂であることが判明します。シテはワキに話を聞いてもらい、その本性を現して舞を舞うことによりこの世への残恨を昇華させます。シテはワキによって救われるのです(安田登「ワキから見る能世界」生活人新書)。
ワキとは「分ける人」であり「分からせる人」なのだ。能のワキが「分からせる」のは何か?それはシテの正体だ。その不可視の存在である幽霊、シテを観客に「分からせる」見せるのがワキ=「分からせる人」の役割なのだ。彼女はこの世で充分に果たせなかった思い、あるいは語り尽くせなかった執心など、いわゆる「残痕の思ひ」を誰かに聞いてもらいたい・そして舞を舞うことによってその思いを昇華させたい・未完の行為を完成させたい・すなわち思いを晴らしたいがためにこの世に再出現するのだ。シテのトラウマを「分け」そして再統合する。これが「分ける人」としての役割だ。
弁護士は舞台に立つ役者ですがシテではあり得ません。弁護士は依頼者にとって「旅の僧」のようなものです。私たちはワキとして・面を着けず・地味な装束で・シテの話を聞き出すことを心がけるべきです。この世に残恨の思いを残して成仏できずに苦しんでいる霊魂の話に耳を傾けなければなりません。依頼者のトラウマを分け再統合する。その手段として私たちは舞台を設営しシテに思い切り舞を舞ってもらうことによって残恨を昇華させる役割を有しているのです。
自分は依頼者たるシテにとり「分ける人」(良き話の聞き手)」であるワキになり切れているか?反省の気持ちを持ちながら弁護士稼業を続けていきたいと思っています。