やりたい仕事・やりたくない仕事
私はこのコラムでこう述べたことがあります。
弁護士が自分のやりたい仕事を自由に選べるのなら夢の自由業だが、現実の弁護士業はそんな夢の商売ではない。依頼者に僅かでも理があれば、その理を代弁するのは立派な弁護士の役割である。弁護士は依頼者から要求されるものと自分のやりたいこととの間で悩み・葛藤し・そこを潜り抜けて、初めてプロとして1人前になっていく。(役者21)
この記述はプロの脚本家の先生の言葉を下敷きにしたものですが、プロの芸人さんも同じようなことを考えておられるようです。萩本欽一さんが次の言葉を残されています。
したくない仕事しか来ないんです。でも運はそこにしかない。だって「ぼくがしたい」という番組じゃないでしょう。「させたい」と思ってくれたわけでしょう。
萩本さんのこの言葉は若手弁護士にとって大いなる導きになると私は感じます。やりたい仕事を選択することなんて普通の若手弁護士に出来ることではありません。最初に来る仕事の多くはあまり「やりたくない」仕事です。でも運はそこからしか開けません。依頼されたということは依頼者から自分が良い仕事をしてくれると期待されたことを意味します。その仕事をひとつひとつ確実にこなしてゆくことからしか運は開けないのです。職業としての弁護士業は、他の多くの職業と同様「他人本位」でしか開始されません。依頼された目前の仕事を誠実にこなしてゆけば、やり甲斐のある仕事が増えていきます。そのうちに自分の価値観では<やりたくない仕事>を拒否できるようになり、最終的には自分の価値観に照らして<やりたい仕事>だけを出来るようになるかもしれません(難しいけど)。その域に達したとき弁護士業は「道楽」(自己本位)的性質を帯びるのでしょう。