おまけに死ぬこと・サルトルから学ぶ
漫画「イキガミ」(間瀬元朗・小学館)は「国家繁栄維持法」なる法律を主題としています。この法律は国民に生命の価値を認識させるため1000分の1の若者に死亡予告書を出します。遺族への優遇措置や自暴自虐になり罪を犯した者を処罰する制度も完備されています。
かんとりー氏はブログでこう述べています。
サルトルは、死が(誕生と同様)あくまで1つの不条理なおまけ=事実である、と言いきっている。生が、あたかも絶対的な終末としての、死へ向けられているかのような錯覚を拒否することで、サルトルはキリスト教神学だけでなく、ハイデッガーの死の形而上学を批判した。またサルトルの「偶然性」という言葉は(バタイユのように)人間が消滅する瞬間において、投げかけた死の僅かな光が、まさに生を闇の中から照り返し、別世界に誘うようなロマンチシズムもすべて徹底的に打ち砕き、死にはどこにも足場がないことを指し示した。サルトルが気に食わなかったのは、死に至る生として、死の内面化あるいは人間化と言われるものであり、言わば彼は死の幻想をことごとく葬り去った点において際立っていた。(中略)私にとって、死は偶然性であるから、期待することも実感することもできないものだ。
私は「死の文化」を含む構造主義的思考を基本にして自分の考え方を形成してきました。しかし、国家権力から<死の恐怖>を叩き込まれて<生命の価値>を認識させられるなど真っ平ゴメンです。人は「偶然性」の中を好き勝手に生きていき「おまけに死ぬ」に過ぎないのだ(@存在と無)という(実存主義の旗手)サルトルの強烈な主張にも私は惹かれています。何事も複眼的思考が大事。