あるときは正義の味方・あるときは悪魔の手先
江戸時代の遊郭として江戸の吉原・京都の島原が著名です。同じくらいの重要性を有していたのが長崎の丸山です。丸山は寛永19年(1642年)に市内に散在した遊郭を1カ所に集めたことから始まります。井原西鶴は「長崎に丸山という所なくば上方の金銀無事帰宅すべし」と嘆いたと伝えられています。吉原・島原と比較した丸山の特長は、長崎という場所的特殊性から、オランダ人や唐人とも交流があり、丸山遊女が国際交流を描いた絵などにも出てくることでしょう。一般庶民の出入りが厳しく禁止されていた出島や唐人屋敷に対してさえも、遊女は出入りが許されたのです(山口広助「丸山歴史散歩」)。遊女という存在は階層や社会規範を超越したところがあるようです。聖性と被差別性を同時に背負ったようなところがあります。文学上、悩みに悩んだ真面目な人が遊女によって救いを得るという物語はポピュラーなものです(「罪と罰」や「墨東奇譚」等)。歴史的にも著名な文化人の配偶者が実は遊女であったという例は少なくありません。
私は警察の留置場にいる被疑者(前科10犯)接見に行った後に東証上場企業の社長に会って話をします。生活保護受給者のために扶助事件を受任しつつ、会社更生事件の更生管財人代理の職務を遂行していたりするのです。あるときは依頼者から「正義の味方」と思われ、あるときは相手方から「悪魔の手先」と呼ばれます(鉄人28号か?)。こういった「時と場所によって自由に属性を変えうる存在」あるいは「一般の人が乗り越え不可能な境界を簡単に超越する存在」という存在様式は弁護士の魅力でもあり悩ましい点でもあります。これを「面白い」と感じる人にとって弁護士は天職でしょうし「やっかい」と感じる人にとっては弁護士は難儀な仕事でしょう。