「自分が知らない世界」を意識する
ネット上の記事「ガラパイア」に以下の記述がありました。
ダニングとクルーガーは、ある特定のスキルに関して能力のない人は「自らのスキルの欠如」「他者の本物のスキル」「自らのスキル不足の程度」が認識できないと主張した。これはある意味当然のことで、例をあげると自分が文法をどの程度知っているかを認識するには、その文法に精通している必要があり能力のない人にはそもそもそれができないので自分の能力も客観的に判断できない。しかし、この現象で興味深いのは能力がないことによって人はうろたえたり困惑したりするのではなく、むしろ不適当なほどの自信に満ちあふれていることだという。(略)情報過多の現代社会でダニング=クルーガー効果のワナに陥らないようにするにはどうすればいいのだろうか?ダニングは1つには常に自分の中にあえて反論するもうひとりの自分を持つことが有効だと語る。自分がしばしば到達しやすい結論は見当違いではないのか自分は間違ってはいないか自問すること。そして「知らない」と認めることは実は失敗ではなく成功への道筋かもしれないことを知ることだという。
あえて反論するもうひとりの自分をもつことを講学上「弁証法」と言います。知性とは自分が知らない世界のことを意識して自分が知っている世界の立ち位置をマッピングできる頭脳の構えのことです。これを下敷きにして言えば弁護士も自分が知らない世界を認識し「自分は見当違いではないのか?間違っているのではないか?」と自問することが不可欠です。世間には知性がないことによってうろたえたり困惑したりするのではなく自信に満ちあふれた人がいます。しかしながら難しい問題は誰にとっても難しいのです。難しい問題に直面したときの「自信満々さ」とその人の「知性」は反比例すると私は感じます。弁護士も知的な謙虚さを身に付けましょう。