「坊ちゃん」の物語論的構造
昨夜は「坊っちゃん」を拝見。二宮和也の上手さはさすがだが、素晴らしかったのは宮本信子演じる清である。「坊っちゃん」は不思議な小説だ。松山で実直な新人教師が大暴れする物語のように表面的には読めるけれども全体を通して読むと作品は清が死んでから間もなく「おれ」が語った清の回想という構造になっている。「坊っちゃん」とは清からみた「おれ」の呼称なのである。この物語は清がいかに「おれ」を愛し「おれ」がいかに清を愛したかという少年と老婆の相思相愛関係を表現している。1ヶ月の松山の物語は「あなたは真っ直ぐでよいご気性だ」という清の言葉の実証に過ぎない。だからこそ小説は清の墓の描写で終わるのである。昨日の作品は宮本信子を上手に使って清の存在を表現するとともに最後も漱石の文章による清の墓所の描写でうまく締めていたと思う。
「坊っちゃん」は松山で実直な新人教師が大暴れする痛快な物語だと認識されています。しかし漱石の原作をじっくり読むと、作品は清が死んでから間もなく「おれ」が語った清の回想という構造になっていることが読み取れます(そのために清の墓の描写で終わる)。漱石は松山の教師生活が不愉快でした。松山の人に対し「小理屈を言う」「ノロマのくせに不親切」「出来ぬくせに生意気」等散々な評価でした(歴史散歩「夏目漱石と久留米1」)。約1ヶ月の松山の物語は「あなたは真っ直ぐでよいご気性だ」という清の言葉の実証に過ぎません。私がこの複雑な物語の構造を把握できたのは最近のことです。この物語は「少年と老婆の相思相愛関係」を表現するとともに「世俗的な出世よりも自分の信念」という漱石の価値観を宣言する記念碑的作品であったのです。