「他人ごとの事件」との関わり
中条省平「100分で名著・ペスト」(NHK)に次の記述。
もともと他人ごとの事件として、このペスト騒ぎを、たまたま取材に来ただけの記者ランベールにとって、この町は本来自分とはなんの関係もなかった訳ですが、その場で自分にできることを行い、人々と関わり合っていくうちに、そこから同じ状況を共有する者同士という連帯感が生まれてくる。天災や戦争といった事件が起こったときに、それに対してごく当たり前のリアクションを起こすことから、もっと積極的な連帯が生まれてくる可能性が物語の自然な流れの中で示されています。いま引用したランベールのセリフは、カミュにとっても「ペスト」の次の作品「反抗的人間」における連帯のテーマを予告するものだと言えるでしょう。これまでに出てきた「自分に出来ることをする」とか「自分の仕事を果たす」といった表現と同じように「いまの自分を引き受ける」ことが連帯の前提として重要になってくるのです。
弁護士にとって相談者の抱える問題は本来は「他人ごと」。自分と何の関係もなかったのです。が、事件を受任し「自分にできること」を探して関わり合っていくうちに「同じ状況を共有する者同士という連帯感」が生まれてきます。紛争に対して「ごく当たり前のリアクションを起こすこと」から依頼者と弁護士の間に「もっと積極的な連帯」が生まれてきます。かような連帯をふまえ弁護士が心がけることは次の3点です。自分に出来ることをする(必要かつ可能な法的手続を取捨選択する)選択した自分の仕事を遂行する(その手続が成就するようにベストを尽くす)今の自分を引き受ける(結果について責任をとる)。これらが「理想的に実現されるか否か」は弁護士の力だけで決まるものではなく依頼者側の事情(自然治癒力の存在)を要することも結構あると私は感じています。