5万人より50人
ボブ・ディランが「ノーベル文学賞」を受賞したときの言葉。
1つだけ言わせて下さい。これまで演奏家として5万人を前に演奏したこともあれば50人のために演奏したこともあります。しかし50人に演奏する方がより難しい。5万人は「1つの人格」に見えますが、50人はそうではありません。1人1人が個別のアイデンティティ、いわば自分だけの世界を持っています。物事をより明瞭に理解することが出来るのです。(演奏家は)誠実さやそれが才能の深さにいかに関係しているかが試されます。ノーベル賞委員会がとても少人数だという事実は私にとって大切なことです。
世間一般(5万人)を相手にして書くことより関心を共にする少数(50人)を相手に書くことの方が難しい。世間一般は「1つの人格」に見えますが50人はそうではありません。個性を持っている50人(物事を明瞭に理解することが出来る50人)の心に届く言葉を紡ぐ作業は困難を伴います。「1つの人格」としての世間(5万人?)などどうでも良い。自分の文章が<世間から理解されるか否か>など私には関心がありません。問題は自分と共通の関心をもっているであろう知的50人に対して意味ある叙述を出来ているか否かです。作者の誠実さ(?)才能の深さ(?)を表現し得ているかを評価できるのは問題意識を共通にする少数者だけです(某哲学者が同じことを述べています)。このコラムの主たる読者としては若手弁護士や修習生を想定していますが、私が本当に読んで欲しい50人とは(自分と同じように)弁護士実務に対し何らかの違和感を持ち、その違和感の正体を探ろうと「法哲学的な探求」を続けている少数の方々のつもりです。