100を1にする作業・書く材料の取捨選択
06年9月から書き始めた「5者のコラム」が100番目の大台に入ります。書く材料がよく尽きませんね?と感心されたことがありますが、私はあまり苦にしていません。
HUFFPOSTSOCIETYに次の記述があります。
文章を書くという仕事はゼロを1にする作業だと思われがちだ。小説や脚本、ゲームシナリオなどの創造的な文章ならばなおさらだ。しかし実際には文章を書くというのは100を1にする作業だ。(略)人を引きつける文章、誰かの心に響く文章。そういう文章を書くためには、たくさんの引き出しから多彩な知識を取り出さなければいけない。そして、そういう知識は短期間では身につかないのだ。すぐには役立たない知識を毎日1ページずつ蓄積していったとする。1年で単行本1冊分になり10年で辞書1冊分になる。(略)数十年後に百科事典一式に匹敵する情報を身につけるために、毎日少しずつ知識を蓄積していかなければいけないのだ。そうやって体に刻み込んだ知識は1週間やそこらでキャッチアップできるような種類のものではなくなる。自分のなかにある情報だけで文章を書こうとすれば経験に基づいた私小説的なものしか書けない。そして経験はすぐに枯渇する。インプットがない状態では恒常的に文章を書き続けるのは不可能だ。ゼロを1にするスタイルでは直ぐに終わりがくる。本当に必要なのは100を1にまとめる能力だ。
文筆家は「文章を書くというのは100を1にする作業だ」という真理を骨身にしみて理解しておられます。いろんな分野の取材で集めた材料を取捨選択して文章構成を練ります。この時点で作業の70%が終わっています。書く作業は15%。残り15%が推敲と校正というのが普通でしょう。私はプロの文筆家ではないので気は楽ですが、執筆を継続するために毎日少しずつ知識を蓄積しています。自分なりに楽しみながら<書く材料>の取捨選択をしております。