5者のコラム 「役者」Vol.41

身柄拘束の人権感覚

 尖閣諸島における公務執行妨害事件に関し感じるのは逮捕勾留についての感覚の違いです。内田樹先生はクールな論評を示しておられます

外交上1手も打ち間違えるわけにはゆかないという緊張が日本人には求められていない。かなり打つ手を間違えても統治システムそのものの崩壊の危機にまでゆきつくことはない。その「ゆるさ」のせいで権謀術数に長けたマキャヴェリストが出てこないという弊はあるが「凡庸な人間でも外交ができる」という利の方がはるかに大きいと私は思う。中国政府は領土問題で「一手も打ち間違いができない」というタイトな条件を課せられている。日本政府はそのような国内事情がない。つまり日本は尖閣列島の領土問題については「軍事的衝突を含めても解決を急ぐ」ような喫緊の理由がないということである。(略)かつて胡耀邦は親日的な外交を展開し革命世代の逆鱗に触れてその地位を追われた。温家宝はその胡耀邦の業績を高く評価した論文を半年前に発表したばかりである。おそらく胡錦濤-温家宝の「親日路線」へのシフトを攻撃しようとする勢力とのあいだの党内権力闘争が今回の「事件」の背後には伏流している。「親日的」というレッテルを貼られることの政治的意味を胡錦濤-温家宝ラインは胡耀邦の実例から学んでいるはずであるから「日本には一歩も譲歩しない」というジェスチャーは政権保持のためには掲げざるを得ない。そのような双方の国内事情についての「理解」の上にしかクールでリアルな外交は構築できないと私は思う。

私は本件の背景にアメリカの影を感じます。今回の件で、外務省内における対米従属派は勢いを増し(親中国派は肩身が狭い)アメリカへの「思いやり予算」削減は見送られる可能性が高くなりましょう。日中両国の信用失墜行為はアメリカの利益に資するでしょう。アメリカの軍事産業は日本への武器の売込みが容易になりました。

前の記事

このコラムの矛盾