論理の飛躍の意義と困難性
内田樹先生は御自身のブログで次のように述べておられます。<名探偵の推理こそ「論理的にものを考える」プロセスの模範だと思いますけれど、ここには「正解」を知っていて「作問」している人はいません。(略)名探偵の行う推理というのは、ひとつひとつの間に関連性が見出しがたい断片的事実を並べて、それらの断片のすべてを説明できる1つの仮説を構築することです。その仮説がどれほど非常識であっても、信じがたい話であっても、「すべてを説明できる仮説はこれしかない」と確信すると名探偵は「これが真実だ」と断言する。それは「論理」というよりむしろ「論理の飛躍」なんです。それは実際に学術的な知性がやっていることと同じです。カール・マルクスや・マックス・ウェーバーや・ジーグムント・フロイトはいずれも素晴らしい知的達成をなしとげ人類の知的進歩に貢献したわけですけれど彼らに共通するのは常人では真似のできないような「論理の飛躍」をしたことです。目の前に散乱している断片的な事実をすべて整合的に説明できる仮説は「これしかない」という推理に基づいて前代未聞のアイディアを提示してみせた。「階級闘争」も「資本主義の精神」も「強迫反復」も全て「論理の飛躍」の産物です。同じ断片を見せられて誰もが同じ仮説にたどりつく訳じゃない。凡庸な知性においては常識や思い込みが論理の飛躍を妨害するからです。>良い法律家に見受けられる特徴も「論理の飛躍」です。「論理的な思考」など「跳躍に至る助走」に過ぎない。この違いが判らない人に法律を語る資格はありません。いわんや実務法曹の活動実際を語る資格はありません。司法研修所に於いて修習生が最初に直面するのが事実認定における「論理の飛躍」の困難性です。飛躍を裏付ける規範を「経験則」といいます。この経験則の適用を最終的に担保するものは法律家の「勇気(決断力)」です。飛躍が出来ない法律家に飛躍はありません。