5者のコラム 「易者」Vol.103

親死ぬ・子死ぬ・孫死ぬ

 一休さんには次のような逸話があります。

ある人が一休さんに「1つめでたい言葉を書いて頂きたい」とお願いをした。一休さんは筆を取ると「親死ぬ・子死ぬ・孫死ぬ」と書いた。その人はそれを見て「めでたい言葉をお願いしたのですが、これではあんまりでございます。もう一度お願いします。」と言った。すると一休さんは「孫死ぬ・子死ぬ・親死ぬ」と書いた。「なおさら嫌でございます。めっそうもない」とその人がつぶやくと、一休さんは「親が先に死んで、その子が親になって死に、その孫が親になって死んでいく。つまり年をとったものから死んでいく。それが一番めでたいことではないか。逆に、可愛い孫が先に死んだらどうか。これほど悲しいことはないではないか。順番どおりに逝くことが一番めでたいのだ。」と叱りつけた。

 「死ぬ」という言葉は表面的には「おめでたい」ものとは言えません。むしろ忌み嫌われるものでありましょう。しかしながら人間はかならず死ぬものです。したがって「死ぬ」こと自体は価値中立的な・自然的な事実なのではないかと思われます(逆説的に言えば何時までたっても「死ねない」状態のほうが悲惨である、とすら表現できます)。一休さんが伝えたかったのは「親・子・孫」という命の順番に死んでゆくという自然の摂理に沿うことが<おめでたい>という感覚です。これを体感するため「親より子が先に死ぬ・子より孫が先に死ぬ」という<おめでたくない>状態をイメージする必要があるのです。一休さんの言葉は表面的には破天荒です。が、一休さんの言葉を一歩踏み込んで深く読み込むと、そこには一休さん独特の深い知性とユーモアが溢れていることが分かります。法律事務所にやって来られる相談者に対して私が一休さんのような深い言葉を与えられることはあり得ません。しかし一休さんの心意気は学んでいきたいと私は思っています。

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