5者のコラム 「学者」Vol.104

華族制度と憲法

 戦前の日本には華族という制度がありました。華族には公家華族・大名(武家)華族・勲功華族があり、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の序列がありました。天皇制秩序の中で上流社会を位置づける制度です。明治2年時点では427家でしたが明治17年の華族令制定時点では504家に増加していました。その後も増え続け、華族制度が廃止される昭和22年時点では913家もありました。増えた華族は、明治維新日清日露による軍功華族・政治家官僚の文功華族です(実業家は冷遇されており子爵となったのは渋沢栄一ただ1人)。明治維新は表向き「四民平等」をうたっていたものの実態は「公武合体」による新しい格差社会の創設でした。国会には華族だけから選出される貴族院があり民衆から選出される衆議院と独立した権限を有していました。薩長藩閥政府の政治が対外関係だけでなく対内的にも「欺瞞に満ちたもの」であったことが良く判ります。
 この華族制度が廃されたのは日本国憲法の施行によるものです。占領軍(GHQ)は戦争を指導した日本社会の上層部に対して徹底した改革を求めました。間接統治という形式をとりながら日本政府にとって拒否しようがない命令でした。にもかかわらず華族制度の廃止がスムーズに進められたのは庶民の圧倒的支持があったからです。戦前の日本社会には現在では想像出来ないほどの格差がありました。例えば東京の「山」と称される高台がほとんど華族の豪邸であったことからも判ります。これら豪邸の一部は富裕層を標的に強行された「財産税」を支払うために国に物納されました(一部が公園になっています)。「財産税は戦後の農地改革と共に革命の代替作用を果たしたというべきもので戦後の安定に大いに役立った」(司馬遼太郎「街道を行く№37」朝日文庫119頁)。格差解消措置とともに施行されたことによって日本国憲法は民衆の圧倒的支持を得たのですね。