5者のコラム 「役者」Vol.153

演劇における死者との対話

 2019年2月10日、久留米シティプラザで演劇「私の黒い電話」(脚本と演出・泊篤志)を観劇しました。<父から相続した家屋でシェアハウスを運営している民雄に頻繁に電話がかかってくる。発信者は東北を旅行している彼女シオリ。2人は結婚を意識しているが民雄の優柔不断で煮え切らない関係。シェアハウスでは住人(亜由川・舟山)が電話の相手を詮索している。相続に関する民雄と兄姉とのいさかいが発生する。他方、シオリは不思議な人たちと会話しながら旅先で民雄に電話を掛け続ける。その後、シオリは既に1年前に交通事故で死んでいたことが明らかに。シェアハウスの電話は故障しており本来通じるはずがないものだった。2人の電話。

「ちょっと早いやろ逝くの」「ちょっと早かったねえ」「何かもっと色々話しておきたかった」「そうやけど」「運命なんか何なんか知らんけど早すぎるって」「死は誰にでも平等に来るって」「早すぎるって、全然平等やない」「それは私も悔しいけど」「悔しい」「あーあ、突然未来が消えるんだね」「世界が1回終わってしまったみたい」「そんなこと言わんで」「終わってしまった世界でただ生きとる」。

 こういう「死者との対話」は演劇でないと効果的に表現できません。映像では全くダメなのです。演劇においては生身の人間が舞台上で普通に会話しているだけです。にもかかわらず劇世界では「この世」と「あの世」が明瞭に感じられます。フィクションなのに「人生の真実」を表現しているように感じられる。キリストも含めて「死者は自分が既に死んでいることを知らないのではないか?」という脚本家の言葉は観客の心を大いに刺激します。かかる形而上学的な演劇は、興味がない人からは見向きもされないでしょうが、私はこういう作品が大好きです。私が「生と死の境界は意外と曖昧なものではないか?」と感じているからかもしれません。