5者のコラム 「学者」Vol.64

比喩対象の選択

比喩対象として何を選択するかはこ使う人の評価的態度に依存します。かつて法律学が科学を比喩対象として選択したとき、科学に対する積極的価値評価が含意されていたはずです(松浦好治「法と比喩」弘文堂153頁)。言葉には「論理的意味」だけではなく価値観を伴う「情緒的意味」が含まれています。ゆえにある論者が使っている比喩対象を分析すれば、論者が無意識的に選択している価値(情緒的意味)が何なのかを知ることが出来ます。小林正啓弁護士はこう述べています。

誤算したのは日本経済新聞とて例外ではない。同新聞の論説委員だった藤川忠宏氏(現外立総合法律事務所弁護士)は「司法改革は文化大革命である」と主張し、毛沢東が「司令部を砲撃せよ」と言って文化大革命ののろしをあげたように我が国は「法の支配」ののろしをあげて司法官僚制を砲撃すべきだという。何とも勇ましい主張だが、中身は左翼学生のアジ演説と同レベルである。(略)余談だが、この程度の論客が、よりによって日本経済新聞の論説委員だったのは何故なのだろう。さらに余談だが、日弁連反主流派の代表格である高山俊吉弁護士は平成8年(1996年)の法律時報68巻3号に「丙案廃止に向けた闘いのために」と題する論考を寄せ、その末尾に「われらが到達した峰に主峰を目指す砲台を揺るぎなく据えよ」と記した。立場は違うのに「大砲系」の喩えが好きなのはなぜなのか。

何故なのか?それは彼らが「大砲系が好きだから」でしょう。藤川氏も高山氏も砲台や砲撃が大好きなのです。彼らは表向きは戦争反対を表明するのかもしれません。しかし内心においては自分を「大将」に擬え自己の「号令」によって多くの人間が敵に向かって「砲撃」するのを見るのが大好きなのだろうと私は想像しています。

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