5者のコラム 「易者」Vol.119

未来は変えられる・過去は編集できる

 フェイスブック上で次の言葉に出会いました。

10年後にはきっと「せめて10年で良いから戻ってやり直したい」と思っているのだろう。今、やり直せよ。未来を。10年後か20年後か50年後から戻ってきたんだよ。今。

 現在は「過去の自分からみた未来」であり「未来の自分からみた過去」です。「現在」とはそのようなものと規定され得る不思議な時間です。今何かを語ろうとしている自分も次の瞬間に過去のものになっており、未来を次々と侵食しながら現存在を持続しています。昔、キルケゴールという哲学者がいました。過去に縛られながら(必然性)未来を期待しつつ(可能性)今を生きている人間に特有の存在形態を考察しました。ハイデガーという哲学者は何時来るか判らないけれども確実にやってくる「自分の死」を覚悟しつつ、過去と未来に引き裂かれながら今を生きる人間の存在構造を<時間性>を軸に考察しました。「未来は変えられる・過去は変えられない」という言い方をする人がいます。間違っているとは思いませんが、もうすこし柔らかい別解釈をすることだって可能です。このような解釈はどうでしょうか?「未来は変えられる・過去は(変えられないけど)編集できる。」依頼者が過去をどのように意味づけるのか?それは現在を生きる依頼者の「意思」によって決定されます。弁護士はそのお手伝いをしているのです。冒頭のフレーズを次のように変形してみましょう。10年前には「10年後はこう生きたい」と思っていたはずだ。そんなふうに過去を編集し直すことだって出来るんだよ。10年前か20年前か50年前に戻っていけるんだよ。今。