5者のコラム 「学者」Vol.138

暇つぶしの時こそセンスを問われる

 新型コロナウイルスによる「自粛」生活の中で書いた小文。ある方が「暇つぶしの時こそセンスを問われる」と書いておられた。そのとおり。人生は長い目で見れば壮大なヒマつぶしと言える。昔ある作家が書いていた。「人生は何事もなさぬにはあまりに長いが、何事かを為すにはあまりに短い。」暇というのは当面生活のための時間に追い立てられることがないということだ。その時にこそ人間は時間の使い方を求められる。人生でなすべき何事かを意識しているかどうかを問われる。哲学者ハイデガーは自分の死を自覚しそれまでに「なすべき何事か」を意識する時間を<本来的時間>と規定した。その上でかかる時間意識を有していない世間人を批判的に考察した。このハイデガーの2元的立論には別の意味での問題点はあり得る(批判も多い)。しかしながら為すべき何事かを有し「あまりに短いと感じられる人生こそが有意義なもの」とする点に(少なくとも)私は異論がない。小田嶋隆氏が「『隣組』マインドにご注意を」なる秀逸なエッセイをあげていた。

「集団的な不機嫌に陥った日本人は昔からその不機嫌の矛先を逸脱者の摘発に向けることになっている。この展開を私はとても強く警戒している。私自身はこういうご時世にこそ上機嫌な逸脱者であることを心がけようと考えている。勘違いしてもらっては困る。上機嫌な告発者ではない。私が目指しているのは常に上機嫌な逸脱者でいることだ。

自粛生活の中で他人のあら捜しをやっているネット情報・SNSの書き込みが目立つ。暇なんだろうな・他にやるべきことがあるだろうに。「他人の目があり過ぎる・相互監視の弊害」も感じてほしい。不機嫌な顔で他人のあら捜しをするより各自が「自分の為すべき何か」を見つけてほしい。