晴明神社宮司が語る占い言葉の意味
清明神社は従四位のまま死んだ安倍晴明の没後2年して邸跡を一条天皇が神として祀ったものです(露木まさひろ「占い師」ちくま文庫275頁)。氏子により再建・整備されたのは明治時代です。人生相談に乗りだしたのは明治末年(近代第1次占いブーム)。昭和後期からの第2次占いブームで再び活況を呈するようになり現在に至っています。清明神社の宮司・山口喜堂さんの運命鑑定は一二支占いをベースとしていますが、占いの言葉はお客さんに語って聞かせる際の枕詞程度に利用するだけだそうです。常識を忘れている客に冷静さを呼び戻すため、そうした一二支などの言葉を利用するだけとのことです。山口さんはこう述べます。「方位や日柄を気にするのは、平安時代の貴族に流行したわけで、京都が本家本元で清明公がその大御所のような存在だったのですが、逆に今は東京の方が盛んと違いますか。表札を見て名前が悪いと何かのセールスをする人がいたり写真に霊が写っていたとか先祖の祟りなどと騒ぐようですね。東京の出版社から出る人を脅かすような占い本に関西の人間もよく攪乱されますが、テキストどおりに考えたらチンプンカンプン。身動きとれませんでしょう。方位を気にしすぎて逆に心の安定を失う人もいますし、占いの行き過ぎは問題ではないでしょうか。アソビやハバをもって生き、事を処するようにいつも話をしています。でも、迷信にご婦人は弱いんですなあ。」弁護士が法律の規定そのもので結論を出すことは意外と少ないように私は感じます。法律相談は常識を忘れている相談者に冷静さを呼び戻すよう働きかける作業が相当の比重をしめます。法律は「不幸」な事態に陥った人間関係を事後的に規律する為に存在しており、どうすれば「幸福」になるかを考える際はあまり役に立たないものです。幸福な人生を過ごす為には法律を意識するよりアソビやハバをもって生きるほうが良いようです。