5者のコラム 「易者」Vol.3

尊敬性と被差別性

 清少納言は「枕草子」において「見苦しきもの」として「法師陰陽師の紙冠りして祓したる」をあげています。ここにいう「法師陰陽師」とはいったい何なのでしょうか。繁田信一「陰陽師」(中公新書)によれば陰陽師には官人陰陽師(国家機関)と法師陰陽師(私度僧)があります。著名な安倍晴明は前者でした。後者の代表格としては芦屋道満があげられています。伝承上、芦屋道満は安部清明にとってのアンチ・ヒーローたる役しか与えられていません。安部清明の物語は、蔑まされた法師陰陽師たる芦屋道満がエリートとしての官人陰陽師たる安部清明にやっつけられる「官尊民卑」思想の表現としても読むことが出来るようです。
 私は現代の官人陰陽師として裁判官・検察官を、法師陰陽師として弁護士を直接対置しようとするものではありませんが、民間において「法」を扱うという微妙な立場が必然的に纏う「尊敬性と被差別性」という両極端な属性は、何かしら弁護士の状況に通じるところがあるような気がしています。大牟田の永尾弁護士によれば、戦時体制下の日本において弁護士は「正業」として扱われなくなり「弁護士は正業に戻れ」という差別的言辞を投げかけられたそうです。現代のアメリカ社会において弁護士という職業が被差別性を濃厚に有していることは広く知られるようになってきました。アメリカには膨大な数の弁護士が存在しており小さいことも訴訟になります。そのため一部の弁護士はアンビュランスチェイサーなどと揶揄され、金に汚い・大したことはしてくれない・傲慢な連中だとの見方が強いのです。繁田氏は「連戦連勝の伝承を持つ安部清明など立派すぎてかえっておもしろみがない」と記しておられます。やられ役の法師陰陽師のほうが興味深い存在だというのです。 私も法師陰陽師という「やられ役」に目を向けていきたいと思っています。

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