5者のコラム 「易者」Vol.24

尊属故の受難・受難故の尊属

 「日猶同祖論」とは日本人とユダヤ人が同じ先祖を持つという見解です。明治から大正にかけ一部学者の注目を引きキ欧米列強と対峙する思想的基盤になりました。内田樹先生は次のように述べます(内田樹「私家版・ユダヤ文化論」文春新書)。日猶同祖論のロジックとは、一言にして言えば、西欧において「罪なくして排斥せらるる」ユダヤ人とわが身を同一化することによって欧米諸国の犯罪性を告発する側にすべり込むというものである。被害者との同一化によって「告発者」の地位を得ようとする戦略そのものは別に特異なものではない。(略)しかしユダヤ人との同一化のファンタジーは、ここに列挙したような「被抑圧者一般」との同一化戦略にくくりこむことのできない複雑なファクターを含んでいる。それはキリスト教に対するユダヤ人の倫理的優越性は単に「罪なくして排斥せらるる」ことだけではなく、その宗教的起源においてキリスト教に先んじているという「聖史的長子権」によって基礎づけられているからである。(略)そして同じロジックを反転させることによって欧米列強が日本を侮辱し差別するのは日本が(潜在的に)欧米列強を見下すべき「神州帝国」だからであるという尊属ゆえの受難という物語を成り立たせたのである。
 刑事事件における検察官や民事損害賠償における原告は自己に「正義の御旗」があります。私は交通事故賠償事件では原告(被害者)側しかやりませんから気分的にとても楽です。私が苦手なのは「被害者が加害者を告発すること」が政治的メッセージになっているような事案です。私は被害者との同一化によって告発者の地位を得るための訴訟が悪いものであるとは全く思っていませんが、かかるメッセージ性が強い訴訟は自分には出来ないなあと感じています。何故なら私は「尊属ゆえの受難」や「受難ゆえの尊属」という物語があまり好きではないからです。