反証可能性の意義
藻谷浩介氏はこう述べます(「デフレの正体」角川ONEテーマ21)。
日本のお受験エリートの思考様式の大きな欠点がここです。彼らが得点競争に勝利してきた試験の世界では「理由付きで証明されている」ことだけが出題されてきました。その結果として証明付きでオーソライズされた命題はたくさん覚えているのですが、証明が出来ない命題にどう対処するかという訓練が出来ていないのです。そんなの対処しようがないって?違います。証明は出来なくとも反証があるかどうかは簡単にチェックできます。反証のないことだけを暫定的に信じる・明確に反証のあることは口にしないようにすることが現代人が本来身につけておくべき思考法です。実際には世の中の事象の多くは証明されていない(証明不可能な)ことなのですから、反証があるかどうか考えて、証明は出来ないまでも少なくとも反証の見あたらない命題だけに従うようにしていれば大きな間違いは防げるのです。(略)最悪の例が水俣病でしょう。水俣病の原因は工場から垂れ流された廃液の中の有機水銀化合物だったという事実は今では社会的に広く認知されています。ですが当時そのことは学問的には証明できていませんでした。そこをタテに、つまり「水銀が奇病の原因とは論証できていない」という口実で当時の水産省は廃液への規制をなかなか行わず、その間も被害が拡大したのです。ところが実際に廃液垂れ流しを止めてみると水俣病の新規発生も止まりました。つまり有機水銀化合物が水俣病を起こすということは「学問的には論証できなかった」のですけれども「有機水銀化合物がなければ水俣病は起きない」という反証は成立したわけです。(231頁)
反証可能性を判断基準とする考え方は哲学者カール・ポパーが強調しています。この考え方は極めて有効です。「原発は絶対に安全!」という主張は1つの反証によって「合理的な根拠の無いものであったこと」が明白となりました。