5者のコラム 「学者」Vol.9

他者の人生への想像力

「小倉百人一首の中で印象的な歌を1つ挙げよ」と言われて次の歌をあげる人はあまり多くないのではないかと思います。

天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも(阿倍仲麻呂)

現代語訳:大空をはるかに見渡すと、美しい月が出ている。あの月は故郷の春日にある三笠の山に出ていたのと同じ月なのだなあ。(中村菊一郎「よくわかる百人一首」日東書院)  
 阿倍仲麻呂は霊亀2(716)年、16歳の時に遣唐使留学生に選ばれ翌年に唐に入国します。科挙に合格した仲麻呂は玄宗皇帝の寵を受け唐に30年以上仕えることになりました。天平勝宝5(753)年、仲麻呂は遣唐使と一緒に日本に帰る決意をしますが帰国途中で乗っていた船が暴風雨で難破し安南(現在のベトナム)に漂着します。帰国を断念した仲麻呂は再び唐朝に仕え日本に戻ることなく唐で72年の生涯を閉じます。この歌は百人一首の中で唯一外国で詠まれた歌なのです。
 他者の言葉を理解するためには、その人がどのような文脈の中でその言葉を発したのかを知る必要があります。が、かかる認識の前提たる「状況」や「文脈」を知る手がかりはやはり「言葉」でしか取得されません。ここに言語的コミュニケーションの難しさがあります。言葉はタマネギの皮のようなもので、剥いていったら無くなってしまうのです。かかる構造の中で、言葉による意思疎通を可能ならしめるのは相手の状況や文脈に向けた「想像力」です。自分が直接経験していないことでも、想像力を鍛えることによって他人の状況を理解することは十分可能です。むしろ確かな経験的基礎の上に合理的な想像力や推論を加えて為された事実把握は素朴な経験を遙かに超えたものであることが多いのです。訴訟における「事実認定」はかような合理性への信頼の上に成り立っているのです。