5者のコラム 「芸者」Vol.60

イソ弁という制度の存在意義

 西尾久美子「京都花街の経営学」(東洋経済新報社)に次の記述があります。

この年季の間は舞妓さんの生活費の面倒もお稽古にかかる費用も高額な衣装もすべて置屋が面倒をみてくれる。舞妓さんになりたいという希望と努力を続ける意思そして健康な体が彼女たちの提供する資本である。それを見込んで置屋のお母さんたちが愛情や専門知識・金銭的な資本を注いで数年かけて1人前の舞妓さんに育て上げるのである。舞妓さんをしている期間は年季奉公=見習い修行中だから労働者としてみなされず、18歳未満でもお座敷に同席することが可能である。また年季中は給料はなく、彼女たちはお小遣いを貰っている。そして花街でプロとしてやっていくための専門技術を身につけた大人の女性としての魅力が増した20歳頃に芸妓さんとして独立し、花街で生きていくかどうかを彼女たち自身が選択するのである。

 イソ弁という制度は、司法修習を終えて弁護士資格は得たものの、実社会で独立のプロとしてやっていく技術も自信もない若手に不可欠です。この年季の間は若手弁護士の給与も技術習得にかかる費用もボスが面倒をみます。努力を続ける意思・有り余る時間・健康な体がイソ弁の提供する資本です。それを見込んでボスは先輩としての専門知識と金銭的資本を注いで数年かけて若手を1人前の弁護士に育て上げます。そこに愛情が加わっているかどうかは事務所により違いますが、金銭的にいえば最初の1・2年はボス側の方が赤字です。なので育てたイソ弁が事務所のために本当に役立つという時にさっさとボス事務所を出て行くとボスは悲しいことになります。昔はこういう風景も結構ありました。最近の話題は専門技術を身につけたはずのイソ弁が全く独立の意思を示さないことです。弁護士業界の構造不況の中で独立する経済的リスクが高まっていることが背景にあります。

前の記事

証人の利害について

次の記事

壁と卵のメタファー