5者のコラム 「役者」Vol.16

なりたい自分に近づけていく努力

 織田佳臨氏はこう述べます(「占い師が教える心をつかむ会話術」グラフ社)。

なりたい自分に近づけていく努力とは、どういう努力でしょう?私は「演じる」ということだと考えています。(略)占い師も人から「先生」と呼ばれる商売ですから人格者ともいえるようなちょっと格好のいいことを言うこともあります。日々が女優の日々かもしれません。

 先生と呼ばれる商売を行っている方も普通の人です。他の人より倫理的に優れている訳ではありません。にも拘わらず職業が人格者たる役割を要求するのです。かかる規範的役割を最初からすんなり果たしきれる方は、その職業に対し天賦の才を持っている人か・かなり鈍感な人かのいずれかでしょう。多くの先生は、かかる役割に対し何らかの違和感を感じながらも職業的場面に立たされるたびに人格者を演じてきました。不思議なことに演じることを繰り返していく内にかかる役割はある程度自分の中に血肉化し少しずつサマになっていくようです。「1人前になる」とは外面的規範と内面的実質のずれを少しずつ調整し、少なくとも職業的場面においては外面的規範に自己を同一化する努力が実っていくことをいうのでしょう。この努力を演技というのなら全ての「先生」に演技性が認められます。弁護士は職務上「人の道」を他人様に述べる場面があります。私はかような場面が嫌いで法廷や和解室を出る際に自己嫌悪のようなものに陥ることがありました。自分に課される外面的規範(弁護士たる立場が要求する人格者たる役割)と内面的実質(普段着の私)の乖離をうまく飼い慣らすことが出来なかったのです。この違和感は今はあまりありません。その場が要求する役割をそれなりに理解し自然と演じている俳優たる自分がそこにいます。そのことが良いことなのか・良くないことなのか、今の私には何とも言いようがありません。「老けた」だけなのかも(笑)。

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