弔辞の3つの要素
タモリさんの赤塚不二夫さんに対する弔辞。
貴方はギャグによって物事を動かしていったのです。貴方の考えは全ての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えを貴方は見事に一言で言い表しています。すなわち「これでいいのだ」と。(略)貴方は今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言っているに違いありません。貴方にとって死も1つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞が貴方へのものとは夢想だにしませんでした。私は貴方に生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係である貴方との間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。貴方も同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私も貴方の数多くの作品の1つです。合掌。(文藝春秋編「弔辞・劇的な人生を送る言葉」文春新書)。
弔辞には3つが同時に示されます。故人自身のこと・弔辞を読む人のこと・そして2人の関係性です。タモリさんの弔辞は上記3つの要素を完璧に満たしています。聞くところでは、タモリさんはこの弔辞を白紙のままで(勧進帳のように)読み上げたそうです。凄すぎます。
私も誰かの弔辞を読むときが来るのであれば上記3点を表現できる弔辞を捧げたいと考えています。そして何時かは訪れる私の死に際しては、誰がどんな弔辞を読んで下さるのだろうかと、今から不安と恥ずかしさと期待と苦々しさと畏れを抱きつつあります。