七五三の起源
日本の文化的伝統では「7歳までは神の内」といって数え歳で7歳(今の満年齢なら6歳)までの子供は神の領域にある存在で人間とはみなされなかった。その最大の理由は昔は栄養状態が悪かったり医療が未発達だったために子供がなかなか育たず、ちょっとしたことですぐ死んでしまったからだ。つまり子供は常に死と生の境にいた。また、そうした生と死の境にいるからこそ神にも出会えると考えられていた(正木晃「お化けと森の宗教学」春秋社)。
以下に挙げるのは上記記述に関するフェイスブック上の議論です。
1 昔は実体と戸籍が違うのは日常茶飯事。出生証明も要求されていなかったし。出産は普通に自宅でしていました。医師が関与しない出産が一般的だった。
2 私の世代では実際の出生日が戸籍記載日と違うという人が結構いますね。
3 昔の戸籍にいう出生日なんて全く当てになりませんよ(笑)。
4 仕事柄、古い戸籍に目をとおしますけど、昔は生まれたばかりの子供がよく死んでいたことが判ります。子供があまり死ななくなったのは最近のことですよね。
5 父方の祖父は戸籍上は1人息子ですが実際は兄がいたそうです。生まれて数ヶ月経ち役場に届けようとしたら亡くなったので戸籍に載っていないんだそうです。
6 七五三もこういった意味で制度化されてるんですね。七五三の起源は室町時代。江戸時代に武家社会を中心に関東から全国へ広まったようです。当時は乳幼児の死亡率が高かったので生まれて3~4年たってから人別帳や氏子台帳に登録していました。七五三のお祝いは無事に成長したことへの感謝と幼児から少年少女期への節目にこれからの将来と長寿を願う意味を持っていたのです。そのような背景から庶民にも普及して明治時代に現在の形になったのだとされていますね。