久留米版徒然草 Vol.317

習慣の変更について

今日、ある人と話していて「慣れ親しんでいた環境」(習慣)を意識的に変更しようと思案した。齢を重ねるごとに人間は環世界に安住したがるものらしい。もう一度少し破壊してみようと思った。当然「習慣により形成された高み」が習慣の破壊により低きに流れるのでは意味がない。「モノを考える」ことで更なる高みを目指すことでなければならない。もう少し頑張ってみよう。
>人は習慣をひとたび獲得したとしてもそこに安住は出来ない。獲得した「習慣」は更新されなければならない。新しいものに出会うのは大変なエネルギーを必要とする。ひとたび習慣が獲得されれば「考えて対応する」という煩雑な過程から解放される。人間がモノを考えるのは仕方なく強制されてのことである。還世界に何か新しい要素が不法侵入して多かれ少なかれ「習慣の変更」を迫られるのである。「モノを考える」とはそれまで自分の生を導いてくれた習慣が多かれ少なかれ破壊される過程と切り離せないのだ(國分功一郎「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)。

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