成長により失ったものの価値を肯定する
映画「未来のミライ」(細田守監督)のパンフレットで細田監督がこう述べていました。
先輩の親たちが言うには子どもって幼いときには予想もつかない面白いことを言うんだけど、だんだんと成長して知恵をつけたり学校で勉強していくと当たり前な常識的なことしか言わなくなって、つまらないって言うんです。
つまり普通なら成長したほうが良くて、成長していなくて未熟ということが良くないということになるじゃないですか。でも、そうじゃなくて、まともなことを言わないことに価値を置くように見せたいなと思って、あのシーンを設定したんです。
勉強を始める前の子どもの意外性・常識に染まる前の子どもの面白さ。成長とはその意外性や面白さを喪失していくことでもある。常識は社会生活を営む上で不可欠のものではあるけれど、失ったものの価値も認識しておきたい。「社会性」は人間に不可欠なものですが「それが全て」ではありません。「社会性を身に付けることで失うもの」だって存在する。常識に染まる前の子どもの意外さ・面白さ。それは仕事から距離をおいたときの大人の「孤高」に通じるところがあります。国家の感覚が強い方には「まともなことを言わない」者を毛嫌いすることがしばしば見受けられます。秩序に従う(まともなことを言う)ことのみを大人と評価し、秩序に従わない(成長がみられない)子どもを上から目線で叱り付けようとする。彼らは「勉強をする前の子どもの感性」を知らないのです。常識に染まる前の彼らの行動の面白いこと。大人になるという現象は「つまらなさ」を身に着けていくことです。確かに「つまらなさ」に価値がないわけではない。たぶん「つまらなさ」(日常性の維持)は社会生活を営む上で不可欠です。おそらく大事なのは「成長により得られる価値」を否定することではありません。「成長により失ったものの価値」を肯定することです。