久留米版徒然草 Vol.181

シーボルトの湯

秋の良き日に嬉野温泉を散歩(2024/11/03)。武雄温泉駅から長崎新幹線に乗る。

 嬉野温泉駅を降りて中心まで歩く。ウォーキングにちょうど良い距離。途中で道は左右に分かれる。左が旧長崎街道で右はバイパス。しばらく歩くと左手に豊玉姫神社(下宮社・旅所?)がある。祭日「おくんち」の神輿が鎮座していた。西に歩くと和多屋別荘。嬉野温泉随一の旅館だ。嬉野宿の東構口は和多屋別荘前にあった(西構口は大正屋の前)。さらに歩くと両側に風俗店舗が並ぶ一角。ディープな嬉野を感じる。今日は秋祭りの日なので人出が多い。子どもが多く活気がある。道沿いの書店で「嬉野市歴史観光ガイド」と「長崎遊学15歩く楽しむ長崎街道」を購入した。

歩行者天国を抜けて右折すると豊玉姫神社がある。昔ながらの参道の佇まいが素晴らしい。白いナマズや姫の演出が目立つのはご愛敬(このナマズは「シーボルトの湯」の浴槽にも見受けられた)。昔、嬉野の元湯は(移転前の)豊玉姫神社の敷地内にあったようだ。豊玉姫は宮崎に所縁のある海の神様で(青木繁「わだつみのいろこの宮」で左側に描かれている)嬉野の先祖は宮崎まで出向いて豊玉姫の神霊を勧請したと伝わる。白いナマズの伝説は(本来は海の神様である)豊玉姫を川に住むナマズと結び付けることによって嬉野温泉に馴染ませたのではなかろうか。

 34号線を渡ると瑞光寺。嬉野宿の本陣だったところ。立派な境内の雰囲気に感銘を受ける。

 街道筋に戻り川沿いに降りると左手に公衆浴場「シーボルトの湯」がある。元の湯壺は旧豊玉姫神社の敷地内にあり宮司の支配下にあった。宮崎駿「千と千尋の神隠し」でも描かれた如く古代から温泉は神と結びつけられ崇められてきた。明歴2(1656)藩の管理となり長崎街道を行く多くの旅人に愛され続けた。大正13(1924)洋風の建築「古湯温泉」として開業。平成17(2005)の福岡西方沖地震で損傷したので取り壊し平成22(2010)大正時代の様式で復元された。

 脇に立派な鉄製の橋梁がある(1927)。あまりにも堂々とした造りに感銘を受けた。

 隣りの「和庵武蔵」で昼食。湯豆腐の定食が実に美味かった。食後「シーボルトの湯」にて温泉につかる。良い湯だ。2階の休憩所が心地良い。ベランダからの眺めも素晴らしかった。
 風呂上がりに街道筋に戻ると「おくんち」の神輿が豊玉姫神社に戻ってきていた(お上り)。昔ながらの神輿行列に感銘を受ける。恐れ多いので写真は撮っていない。嬉野温泉は寂れて活気を失っていると聞いていたが、11月3日は秋祭りで人が多く良い感じであった。日日是好日。

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