職業規範と現実の相克
先崎九段がうつ病から数ヶ月でプロ将棋に復帰できた背景には精神科医である兄の存在が大きかったと感じます。先崎学「うつ病九段」(文藝春秋)から引用。
「うつ病が未だに心の病気といわれている・うつ病は完全に脳の病気なのに」「うつ病は完全に治る病気なんだ・人間は不思議なことに誰でもうつ病になるけど不思議なことに自然治癒力を誰でも持っている・だから絶対に自殺だけはいけない」「究極的に言えば精神科医というのは患者を自殺させないためだけにいるんだ」。
精神科医は「治せない」という現実に直面することが多々あると思います。患者さんが自殺して絶望感を抱くことも珍しくないのでは?とも想像します。「必ず治ります」という兄上のメッセージは現実というよりは職業規範だったのではないか。おそらく多くの精神科医は「治る」という職業規範と「治せない」という冷酷な現実の間で苦闘されているのでしょう。先崎九段は兄上の「必ず治る」という短いけど確信に満ちたメッセージに救われました。現実に即して兄上からクールに「治らないかも?」と言われていたら、先崎さんのこんなに早い回復は見込めなかったのではないでしょうか。
弁護士も同様です。職業規範と現実の狭間で右往左往させられます。人間は自由平等だという規範と人間は自由平等ではないという現実の狭間で。正義が実現されるべきという規範と実現されない現実の狭間で。多くの弁護士たちは冷酷な現実の前で絶望感を感じたことが多々あると考えます。にもかかわらず、弁護士は絶望感を乗り越えて「自由と正義」を確信を持って説いていかなければならない。何故ならば、それこそが弁護士の存在意義であり守るべき職業規範だからです。