久留米版徒然草 Vol.170
大阪城の風景
大阪城の周辺が現在の風景になるのは昭和3(1928)年:関市長時代に昭和天皇即位記念事業として天守閣をつくるとともに第四師団庁舎を新築し陸軍に献納するという大阪市会決議が成立したことによる。昭和6(1931)年、市民の寄付で現在の鉄筋コンクリート製天守閣と第四師団指令部庁舎が完成した天守閣は豊臣城を意識して創られている。徳川が築いた石垣の上に豊臣風の天守閣。眼前に広がっているのは学術的に「あり得ない風景」だ。しかし大阪人にとって大阪城は「豊臣の城」でなければならない。大阪人が太閤秀吉をいかに敬愛しているか判る気がする。
横にあるのは旧陸軍第四師団の司令部庁舎である。市民の寄付で天守閣と同時に建設された。建築費用は師団庁舎のほうがはるかに高い(要した費用:天守閣47万円・師団庁舎80万円)。
ちなみに旧大阪城一帯は信長が苦戦した「石山本願寺」の跡地と推定されている。