高速道路上の人身事故
高速道路に「人」が存在することは想定されていないので人身事故(生身の人が車両から撥ねられる事故)が発生することは通常ありません。しかし車の故障により車外に出た人が後続車両から撥ねられる事態はあり得ます。以下に挙げるのは高速道路上の死亡事故に関して被害者遺族の依頼を受け提起した訴訟で述べた「被害者の落ち度」(過失相殺)に関する準備書面です。
第1 総説
本件は訴状記載日時場所において被告が*を跳ね飛ばす事故を生じさせるとともに重篤な状況にあった*を放置し、救護しないばかりか、警察・消防への通報もせずに逃亡したことにより、*が事故の*後に死亡した事案である。前者は過失犯であるが後者は故意犯である。両者は「事実」として異なるとともに「法的な意味」も全く異なる。よって本稿は被告が*に「衝突したこと」と、重篤な状況にあった*を「放置して逃亡したこと」を区別して論じることとする。
第2 衝突したこと自体に関する過失相殺
1 総説
被告が本件事故を生じさせたことについては当職も*の過失を認めないわけではない。しかし被告の「50%」という主張は通らない。以下では衝突に関する事実関係を議論し、次いで過失相殺に関する法的評価を論じることとする。
2 事実関係
*は事故前に現場からJAFに荷電し「手前で事故を起こしエンジンの調子がおかしくなった。追い越し車線で今停止している」と連絡している。原因は「高速道路に入る前にトラックに追突した」というものだったがトラックは追突されたことに気付かずそのまま行ってしまった。*は上記衝突により自車に障害が発生しているとは思わずにそのまま自車を走行させ、高速道路に乗った。が 本件事故現場付近でエンジンの不調が顕在化して車が動かなくなった。*は車にハザードランプを付けるとともに車外に出て関係者に電話連絡をしていた。他方、被告は*市に居住していた者であるが、*市に住んでいる娘のところに行くため*インターから高速道路に乗った。事故前速度は時速約120㎞くらいだった。娘の所に行きたくて急いでいたので気付かないうちにアクセルを踏み込み何度もスピードメーターが時速130㎞を超えているのを見てブレーキをかけたのを覚えているという。特に危険を感じていないときはそれ以上の速度で進行していたと言う。事故前に対面していた本線車道上の電光掲示板に「故障車のため速度50㎞に規制された」表示に気付かなかったとも言う。事故現場の手前約2㎞の速度標識と同約0.76㎞の電光掲示板に表示された50㎞規制の標識を被告は両方とも見落とした(と供述)。被告は前方に被害車両のハザードランプが点滅しているのを見たが無謀にも減速しないままでそのまま進行した。直ちに減速すべきだったのは当然である、と本人は取調べで自認している。しかし被告は時速120㎞だった(と思っている)猛スピードのまま自車を進行させた。本件事故現場直前になって被害車両が停止しているのに気付いたが、自車のスピードが早過ぎたので左側の第2車線に進路変更すると普通のスピードで走っている車を追い上げる状態になって衝突してしまうと思いハンドルを右に切って、停止車両と中央分離帯の隙間を無理矢理に通り抜けた(と供述)。衝撃を感じると同時に車は真上に飛び上がって、その停止車両の前方に進出し斜めになってようやく停止。この間、ハザードランプを点灯させ停止している車両と中央分離帯の隙間を無理矢理進行して、その車両から降りて中央分離帯との間にいた*に対し被告車両の前部を衝突させ、*に急性硬膜下血腫・脳挫傷などの重篤な傷害を負わせる本件事故を生じさせた。
3 法的評価
法律上「高速道路上に歩行者がいること」は予定されていない。しかしながら高速道路上に駐停車車両がある場合、非常措置を講ずるため等の目的で車両近くに人がいることは決して珍しくない。自動車運転手としても高速道路上に駐停車車両があれば近隣に人がいることを知り得る。その事情如何によっては原因を遡って探索することにはなるが、「衝突」という事実そのものに関して言えば、動いていない人に高速の車が突っ込んでいくという事態は異常なものであり、その責任は「突っ込んでいく車」に多く帰せしめられるべきものである。
本件の場合、加害者被告は事故前速度が平均時速で約120㎞くらいだったと供述する。これは本人が自発的に供述したというよりも料金所ゲートを抜けた時刻と事故時刻の時間差および両者の距離の関係にもとづいて計算されたもののようである。被告は「気付かないうちに」 アクセルを踏み込んだというが、自己の責任を軽減させるための詭弁と言えよう。被告は「何度もスピードメーターが時速130㎞を超えているのを見てブレーキをかけたのを覚えている。特に危険を感じていないときはそれ以上の速度で進行していたのは間違いない」と言う。「継続的な速度超過」が本件事故の遠因である。異常なのは事故前に対面していた本線車道上の電光掲示板に「故障車のため速度50㎞に規制された」ことが明瞭に表示されているにも拘わらず、被告がこれを無視して前記高速のまま自車を走行させたことである。被告は「全く気付かなかった」と弁解しているが疑わしい。被告主張では1度ならず2度も(事故現場前約2㎞の速度標識と同約0.76㎞電光掲示板に表示された50㎞規制の標識を両方とも)見落としたことになるが、1度ならず2度も標識を見落とすことは普通考えられない。被告は、標識を認識しつつも、従前のスピードで走りたいあまり無視したと考えられる。更に異常なのは被告が前方に車両ハザードランプが点滅しているのを目視したにもかかわらず、無謀にも減速しないままで「そのまま進行した」ことである。取調において被告は「直ちに減速すべきだったのは当然である」と自認している。しかし被告はその時点では「直ちに減速すべきだったのは当然である」と思っていなかった。前方にハザードランプが点滅する車両を目視したにもかかわらず、時速120㎞だった(と思っている)スピードのまま自車をそのまま進行させた。これが本件事故の「直接原因」である。被告はこの点をいったいなんと弁解するというのであろうか?確かに*が意図せざる直前事故により自車に障害が発生しているとは全く思わずにそのまま自車を走行させ高速道路に乗った結果、本件事故現場付近に自車を停止させたのは間違いがない。しかし、エンジンの不調が高速道路上で顕在化したことは不幸な偶然という面が強い。もし直前事故によって車が著しいダメージを受けていたら一般道路上で動かなくなっていたはずである。直前事故による自車の障害はそこまで酷いものではなかった。そのため車の構造に弱い*は「まさか高速道路上で車が動かなくなる」とは夢にも思わず高速道路に乗ったものであろう。本件事故現場で車が動かなくなったのは偶然であって車の調子が悪くなったときに(当該車両の惰性だけを利用して)安全に左側路側帯に車を停止させるだけの余裕(運転技術)は*に無かったであろう。*は車にハザードランプを点滅させるとともに車外に出てJAFや友人などの関係者に連絡していた。ハザードランプが点滅している自車を目視したにもかかわらず時速120㎞の猛スピードのままで自車を進行させる車がこの世に存在するなどとは夢にも思わなかったであろう。「衝突に関しての」*の過失は10%に止まる。
第3 事故後に被害者を放置し逃亡したことに関する過失相殺
1 総説
被告が負傷した*を放置し現場から逃亡し、*が救急医療を受けることが出来なかったこと、これにより*が死亡したことについては過失相殺を一切認めない。
2 事実関係
本件事故により*には高度な意識障害が発生し現場付近に投げ出された。*は意思無能力の状態であったから*に過失相殺を問う前提は存在しない。他方、被告は直ちに運転を中止せず、自分が引き起こした事故のため負傷者が生じているか否かを確かめないまま、警察への届出や救急車の出動要請をしないまま、逃亡した。
本件は当初「ひき逃げ事件」として捜査された(甲*)。事故から約1時間30分程度経った後、怖くなった被告が警察に110番通報して出頭したので被告への取り調べが始まった。被告は当初「中央分離帯にぶつかっただけ」として被害車両への衝突そのものを否認していた(当初供述では停止車両と中央分離帯の間をすり抜けたとして中央分離帯への衝突すら否定している)。捜査の中で現場や車両の見分が行われ、少なくとも物損事故を起こしていたことの認識は明白に認められるとして、道路交通法違反(119条1項10号、同72条1項後段)として検察庁に送致された。検察庁の供述調書には次の問答が記されている(甲*号証)。取調官が被疑者(被告)の供述に対し強い懐疑を持っていることを伺わせる。この点を意識して問答(略)は読まれるべきである。
3 法的評価
上記問答から明らかなように被疑者(本件被告)の供述には極めて不合理な点が認められる。検察官が強気な人ならば「被疑者が人身事故を認識していたことは間違いない」として「ひき逃げ」事件の立件をしていただろうと思われる。本件現場や被害者と車両等の状況証拠から被告の「故意」を認定することは(被告が公判廷で否認していたとしても)不可能では無かったと考えられる。実際、高速で運転している車両のドライバーとしての経験に照らして言えば、高速道路上は非常に小さい石が車体に当たっても敏感に接触感を感じるものであり、まして他の車両や人体に自車両が衝突してミラー等が大きく歪んだ状態で「何も感じない」など絶対あり得ない。検察官は「被疑者が物的事故の認識について自白するなら人的事故の認識については目をつむる」という司法取引的趣旨で妥協したものと考えられる。しかし被害者目線でみれば本件は「ひき逃げ」そのものである。
仮に刑事事件の事実認定を前提にしても被告は物的事故の認識は肯定しているのであるから、当然、その時点において現場に立ち止まり事故当事者として然るべき行動をする義務がある。もし被告が接触時点で人への加害状況を認識していなかったと仮定しても、事故現場付近を普通に見回れば直近位置に被害者は瀕死の状態で倒れていたのであるから、容易にこれを発見し警察に通報するとともに消防へも連絡して救急医療体制の処置を受けられたはずである。*から*に架けて*大学病院ドクターヘリが受け持っており、高速道路上の事故でも道路上にヘリを停めて大学病院の高度救急救命センターに搬送することが可能となっている。かかる対応がとられていれば被害者が死亡することは無かったと思われる。少なくとも物的な事故の認識があった被告は容易に付近に倒れていた被害者の存在を容易に認識し得た。よって、その死亡については被告が100%の責任を負うべきである。何故ならば事故直後の*には意思能力が全く無かったからである。
* 裁判所は衝突したことと放置したことを分け過失相殺率を判断する当職の分析枠組みは採用しませんでした。しかし過失相殺率は20%という比較的低い割合にとどめてくれました。損害としても本人死亡慰謝料が相場より若干高めに認定された上に遺族慰謝料も相当認められたので、実務家としては、納得できる数字になりました。死者の無念について「意識があれば被告の救護義務違反について強い憤りを感じたであろう」として的確に表現してくれた判決文に感銘を受けました。この判決は原告・被告ともに控訴せず確定しました。被害者の無念をある程度は供養することができたので代理人である私としても頑張った甲斐がありました。
* 損保からの入金額は全額が法定充当されています(民法491条)。関心のある方は2012年6月29日「交通事故賠償における法定充当」を参照。
* 先例たる意義が認められて某判例雑誌に採用されました(自保ジャーナル№2062・2020年5月28日号168頁)。興味があれば御参照ください。