歴史散歩 Vol.163

久留米おきあげと忠臣蔵1

令和5年2月4日久留米郷土研究会の見学会が久留米市立草野歴史資料館で開催されました。このときの企画展は「仮名手本忠臣蔵と郷土に伝わる浪士伝説」です。私はこの見学会に参加して深い感銘を受けましたので、3回にわたりその紹介をしたいと思います。
 本稿は平成24年3月3日「久留米おきあげ・みやびの世界」と平成26年3月8日「おきあげが語る歌舞伎の名場面」の各図録に多くを依拠しました。久留米郷土研究会会長(草野歴史資料館の学芸員)樋口一成先生には格別の御教示と御援助をいただきました。篤く御礼申し上げます。
 

(「久留米おきあげ」とは何か?) 
 久留米おきあげとは、題材を決めて下絵を描き・型紙に切り分けて綿を載せ・布生地で包み面目を入れて完成させる技法で作られる押絵人形です。平面的なのに立体的でもあるという独特の存在感があります。細かくは用途により①節句のひな壇に飾られる「おきあげ」(台に立てて鑑賞するため竹串を刺されているのが特徴)②額装し壁に飾られる「押絵」③正月飾りとされる「押絵羽子板」に分類されています。明治34年(1901)恵比寿座で開かれた第1回生産物品評会では久留米の代表的な生産物に指定されています。同43年には製造業者25戸・販売業者3戸で、生産高は21120組・1689万60銭を売り上げているようです。久留米の特産品たる地位を確立していました。しかし昭和に入ってから衣裳雛(型押しで造られ小振りな雛人形)が普及することで生産量が減少していき数名のおきあげ作家の皆様のおかげで何とか伝統が継承されたというのが実情です。

代表的なものとして旧辻家のひな壇おきあげを紹介します。

 久留米市東合川町所在の辻家で大事に保存されてきた逸品。歌舞伎の演目(近江源氏・曽我兄弟・忠臣蔵など)を題材としたものが多く、丁寧な作風で動きのある所作が表現されています。裏紙に使われた新聞によって大正時代から昭和初期にかけて制作されたものであることが判るそうです。

その約1か月後、私は令和5年3月12日に草野の上野邸「南山荘」におけるおきあげ雛の飾りを拝見することができました。主宰者である上野様は代々草野町の名家であられ、建物も極めて貴重なものです。おきあげ雛を資料館の「硝子戸の中」ではなく実物を「目の前で直に」拝見できたので、その素晴らしさを直截に堪能できました。義経と静・弁慶・曽我兄弟・先代萩・大蔵卿・忠臣蔵・子供火消し・殿様道中など14組47点という超豪華版です。特に横側から撮った写真により「久留米おきあげ」のリアルな感じを実感いただけるのではないかと思います。



仮名手本忠臣蔵(塩路判官・高師直)

天神記(松王丸・梅王丸)

恋女房染分手綱(三吉・調姫・重之井)

武蔵坊弁慶

曽我兄弟敵討之場(十郎・化粧坂少将)

これらは久留米(特に草野)の文化的豊かさを示すものです。大事に保存して欲しいと願います。

おきあげの伝統は後の久留米出身文化人に良い影響を与えています。三越デパートの創始にあたり力を発揮した日比翁助は親が久留米おきあげ作りをしていた関係で布地に詳しく、そのことが三井銀行から越後屋呉服店の改革に抜擢された要因であるそうです(「デパートの誕生」参照)。また青木繁・坂本繁二郎の両巨匠も親が久留米おきあげ作りに携わっており、そのことが両名の美術的センス育成に多大な寄与をしているのだそうです(「東京の石橋正二郎3」参照)。

次回(2回目)は史実としての忠臣蔵(赤穂事件)と久留米の関係、次々回(3回目)は久留米おきあげによる「仮名手本忠臣蔵」の逸品を紹介します。(続)

*今回の投稿で使用した写真の原版に関する著作権は「久留米市立草野歴史資料館」および「南山荘(上野様)」に帰属します。無断転載は禁止されています。

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