リスペクトされる存在
初期のコラムで「持つべき友は医者と弁護士と神父」という諺を紹介しました。市場原理と異なる人格的出逢いの中においてクライアントとプロフェッションの深い信頼関係が形成されたことを強調しています。「医者」の項目を終えるにあたり感じるのは私が医師の先生方に対し抱いている深遠なリスペクトです。医師は凄い。命そのものを預かるのだから。この素朴な感覚を私が無くしたことはありません。弁護士になって数年間、私は(多少)医療過誤の相談にも乗っていました。実際に受任して解決したのは積極的過失(禁忌の違反)ばかりであり消極的過失(為すべきことをしない)には及び腰でした。根底にあったのは医療に対する畏怖感覚です。専門領域に土足で踏み込むことへの躊躇がありました。自身や親族に於いて医師の技能に救われる場面が多々発生しました。その度に私は主治医に対し心から感謝してきました。それは金銭的対価とは別次元のものであり、自分に唯一出来ることが医師に感謝することだったのです。医師が「神様的な気配」を漂わせているのは昔も今も変わりません。専門職の最大のモチベーションはクライアントからの感謝です。「カネを払っているのだから『ありがとう』というのはそっちであって、こっちではない」などと言われようものなら専門職の矜持は消滅します。医師の世界も弁護士の世界も「クライアントを顧客と扱うべき」という商業主義的流れが目立つようになっていますが(医者30)私は馴染めません。依頼者からリスペクトを払われるプロフェッションが、高い倫理観の下でその負託に応える。そんな深い信頼関係が形成される所においてこそ弁護士は「社会生活上の医師」になれるはず。私はそう確信しています。