保証人になってという呪い
昔、ある講演において聴衆に次のような問いかけをしました。
皆さん。誰かから保証人になってくれといわれた時、なる人は手を上げてください。誰もいませんか?保証人になっても何の得にもならないからね。じゃあね自分の子供の保証人になってくれと言われたらどうですか?だいぶ増えましたね。何故使い分けてるんでしょう?じゃあ命の恩人から保証人になってくれと言われたら?恋人から保証人になってくれといわれたら?皆さん誰かから保証人になってくれといわれたときのことをリアルに考えていますか?
「保証人になってくれ」という依頼には呪いが込められています。自分は苦境にある・その自分を助けてくれないのか?見殺しにするのか?この呪いは強力です。自分の身を守りながらこの呪いを逃れる方法はひとつ。それは呪い返すことです。呪いをかけられた以上、何のコストもなく終わるとは思わない方がよい。あなたはその人から値踏みされた。だとすれば、あなたもその人を値踏みする他はありません。この人との人間関係はどういう位置づけなのか、と。その人間関係を破壊しても恨まれても構わないのであれば冷徹に断ればよい。では簡単に断り切れない場合はどうするか?このとき「保証人になる」のは危ない方法です。何故なら保証人になったとたん、その人は逃げるからです。そして貴方がその人を呪うことになります。値踏みとは自分の責任をコントロールすること。自分がこの人のために責任を負えるのはこの範囲だと「今・ここで」決めること。私が法律家でなかったら、例えば1000万円の保証人になってくれと頼まれたら、その人に対する恩義をよく考えて例えば10万円を無償であげます。人間関係を壊さない為にそのコストとして10万円を払うのです。「10万円を贈与した以上はおれを呪うなよ」という逆の呪いです。ですが私は弁護士です。そんな贈与はしません。私が贈与できるのは世間の呪術を切り裂く法的知識だけです。