お金を頂くことによる距離感
遊里における玉代は「太夫75匁、品川10匁、飯盛り女200文から500文なら上々、よたか24文、船饅頭は32文」などの金銭勘定があり(中野栄三「遊女の生活」雄山閣208頁)しかも実際の遊びとなると、おごりの飲食代・茶屋旅籠屋の支払い・祝儀代等もあり遊興費の総額は何倍にもなるのが常。遊女はお金をもらって客の相手をするのが仕事であり、お金を貰わないで客の相手をすることはありません。遊女は「職業」として客と接するのです。金持ちの客が遊女を見込んで妻にすることはあっても遊女のほうから客を本気で好きになることは普通ありませんでした。
若い頃、私はお金を貰うことに後ろめたさを感じました。特に相談料という名目でお金を貰うことには抵抗感がありました。なので初期の頃は無料で相談者から話を聞いていました。同情すべき点が多い相談者に対しては受任する場合も相当の低料金でやっていました。「自分が受任しなければこの人は救われない」などという過剰な思いこみすらあったのです。現在は原則として相談料はいただいていますし、受任する場合もあまり「情」に流されなくなりました。プロとして・職業として・仕事をすることに割り切りのようなものが生じてきたのです。むしろ適切なお金をいただくことによって自分と依頼者との距離感を厳格に意識するようになったと感じます。我々の仕事は「他人事」だからこそ冷静な第3者としてのクールな判断をなし得るように思います。過剰な思い入れは冷静な判断力を曇らせます。無償の「贈与」には呪術的色彩がこもることが多いのです。適切な金員の授受が「職業」的等価交換の属性を付与し、弁護士業務が帯びがちな呪術的色彩を排除することに資するのです。弁護士業務は「呪術から離れたクールな合理的なもの」であるべきです。