役柄意識の芽生え
ジェームス三木氏はこう述べます(「ドラマと人生」社会評論社)。
警官がドロボーを追いかけようとする。ドラマの中の話である。さて、あなたはどっちを応援するか。結論から言うと、あなたはよく知っている方を応援する。前の場面で警官の生活状況や職場の悩みなどを描いておくと必ず警官を応援する。ドロボーの恋愛感情や少年時代の思い出を描いておくと必ずドロボーを応援する。善悪とは関係がないのである。
この方法は法律家も良く使っています。検察官は被害者がいかに幸せな生活を送っていたか・いかに悲惨な目にあったかを描きます。弁護人は被告人がいかに悲惨な人生を歩んできたのか・家族がいかに支援体制を整えているかを描きます。自分が擁護する人物を裁判官から<よく知っている方>に組み入れて貰うために涙ぐましい努力を続けているのです。
私は表現力育成の有力な方法として演劇教育を強く推奨する。自分ではない誰かを演じるのは他人の身になるということで、自己中心的な思考を脱し、客観的・相対的にものを考える力がつく。他人への優しさや思いやりも生まれる。いじめっ子といじめられっ子を入れ替えて相手の役を演じさせられとどうなるか。恐らく劇的な教育効果があるに違いない。いじめっ子はいじめるしか表現力がないから、いじめるのである。いじめられっ子は、それしかないから、いじめられるのである。(中略)社長と社員を入れ替えて、相手の役を演じさせる。夫と妻を入れ替えて、相手の役を演じさせる。演劇の効用は無限である。
弁護士が依頼者を説得する場合、言葉だけで「相手の側」のことを示しても「先生はどっちの代理人か」と反発されます。しかし演劇論的観点を上手に示すことが出来たら効果的です。人生という舞台において互いが演じている役柄意識が芽生えれば<客観的・相対的な思考>が身に付きます。これこそが紛争解決のための力になるのです。