■2021年03月03日(Wed) 相続分無きことの証明書
 昔、不動産登記実務において「相続分無きことの証明書」という便法が用いられていました。相続で主に司法書士が用いていた手法です。「私は被相続人から生前既に財産の贈与を受けているので相続分が無いことを証明します」の如き書面に不動産取得予定者以外の者が署名押印し印鑑証明を添付させるものです。遺産分割協議において相手方からこの文書が提出され混乱する場面は少なくありません。以下は調停において私が申立人(文書の作成名義人)代理人として提出した書面です。

第1 総説
  相手方から「相続分不存在証明誓約書」が証拠提出されている。従来より「相続分無きことの証明書」という呼び名で登記実務で用いられてきたものである。弊害が多かったので近時は登記実務上用いられておらず家庭裁判所における遺産分割協議で後に述べる事項以上の意義は認められていない。以下「相続分無きことの証明書」の意義と問題点を論じた上で本件における法的意味を議論するものとする。
第2 「相続分無きことの証明書」の意義と問題点
 1 相続において法的意義のある処分証書は遺言(被相続人が作成)か遺産分割協議書(相続人全員で作成)かのいずれかである。「相続分無きことの証明書」はいずれにも該当しない。ゆえに本来かかる文書は相続において何らの意味もない。
 2 が、不動産登記実務上、当該不動産を取得する相続人以外の者に「相続分無きことの証明書」を作成させ印鑑証明を付して相続登記を認める扱いが認められてきた(昭和8年11月21日民事局長甲1314号、昭和28年8月1日民事局長甲1348号回答)。印鑑証明書の有効期限に制限は設けられなかった。そのために法的意味の判らない他の相続人にかような「相続分無きことの証明書」を書かせ、酷い場合には偽造して単独相続登記を済ませてしまう事例が多く見受けられた。これは我が国の相続登記実務の恥部だったと言える。
 3 「相続分無きことの証明書」は民訴法225条「法律関係を証する書面」に該当しないとの判例がある。「同条にいう法律関係を証する書面とは書面自体の内容から直接に現在の法律関係の成立存否が証明されうる書面を指すものと解すべきところ、右証明書はその作成名義人である相続人が被相続人から相続分以上の生前贈与を受けたことを理由として相続分が無いことを証明せんとするものであるが、その生前贈与の内容価額および相続分の価額が具体的に明らかになっているわけではなく単に漠然と被相続人からの生前贈与があったという記載があるに過ぎないから、それによって現在の法律関係が証明されていると解することはできない」とする(東京高判昭和56年5月18日判例タイムズ455号108頁)。「相続分無きことの証明書」の作成事情から遺産分割協議の成立を認めて遺産分割の申立を却下した審判に対する抗告審で「上記証明書は遺産換地処分の必要から作成されたもので、本件においては遺産分割協議が成立したものとは認められない」と原審判を取り消し差戻した事例もある(名古屋高判金沢支部平成9年3月5日家月49巻11号134頁)。
 4 では「相続分無きことの証明書」が遺産分割の協議において全く意味が無いかというと必ずしもそうではない。不動産の共有持分権の贈与または放棄と解釈するもの(高松高判昭和38年4月1日家月15巻7号94頁他)など何かの「事実証明的な意義」を認めている裁判例は存在する。「相続分無きことの証明書」は何らかの当事者の意思表示の存在を直接に証明するものではなく、他の事実関係とあいまって何かの「事実を証明する」補助材料になり得るにとどまると言うべきものである。したがって「その内容が事実に合致しているかどうかこそが重大ですので内容虚偽の場合は原則として作成し交付したものは相続分を失わず改めて遺産分割協議をすることが可能です」となる。なお、内容虚偽の証明書がもっぱら登記の便宜のために作成されている現状からすれば証明書の作成・交付という事実から推認できる意思表示は「当該登記の対象となった不動産に限るというべきでしょう」というのが自然な流れと言えよう(「遺産分割と寄与分事件の実務」新日本法規131頁)。
第3 本件における文書の意味
 1 本件乙*は「遺言」ではなく「遺産分割協議書」にも該当しないから遺産分割協議を拒む理由に全くなり得ない。文書の体裁上、明らかである。
 2 本文書に表記された「生前すでに財産の贈与を受けており相続分が無い」事実は存在しない。被相続人の遺産は巨額であり申告業務を執り行った*公認会計士の集計で*円に及ぶ。「生前贈与により相続分が無くなった」と言うためには被相続人の有した財産が*円に達し、その中から申立人に*円を贈与した事実が認められなければならないが、かかる事実は存在しない。資産家の常識として高額の贈与税が課せられる、かかる贈与は絶対しない。本件乙*に記された内容は虚偽である。これは登記手続を準備した司法書士が「登記の方便」として準備した書類に申立人が訳もわからず署名押印させられたものである。本件文書には作成日の記載すら無い。相手方において申立人が「相続分を超える財産の贈与を受けていた」事実を主張したいのなら当該事実(生前贈与の時期・額・内容)を具体的に立証いただきたい。
 3 では本件「相続分無きことの証明書」が遺産分割協議で全く意味が無いかというと必ずしもそうではない。「相続分無きことの証明書」が登記の便宜のために利用されてきた歴史的経緯から考えれば、本件の如き「証明書」の作成・交付という事実に何らかの当事者の意向を伺うことが出来る場合もある。遺産の中に不動産とそれ以外の財産(特に金融資産)が存在する場合「相続分無きことの証明書」を交付している当事者は「自分は当該不動産の取得を希望しない」趣旨だったと解釈することである。実際、申立人はかかる意向を有している。それゆえ本件*は遺産分割協議にあたり「対象不動産を相手方が全部取得することに異議はない」という意向を表現したものと解釈することが出来るのである。それ以上の法的意味は無い。

* 上記書面を出したことによって遺産分割協議は順調に進み、当方の申立の趣旨のとおりに合意ができました(不動産を相手方が全部取得し、当方は預金を取得する内容)。コロナ禍で出頭を省略するため「調停に代わる審判」が為されました。