■2022年07月01日(Fri) 懲戒事由としての侮辱
 ネット社会の進展により「侮辱」的表現の当否が問題になる場面が増えました。弁護士の場合、私的な場における表現であっても「品位を害する」として懲戒請求の対象となることがあり得ますから注意が必要です。以下に挙げるのは某弁護士に対する懲戒請求が認容された事案の紹介とこれに対する私のコメントです。
 
1 事案
 法律事務所のブログで木村草太・東京都立大学教授を侮辱した、として日本弁護士連合会が埼玉弁護士会に所属する弁護士を戒告の懲戒処分にしていたことが分かった(2022・6・21)。埼玉弁護士会は表現の自由の観点から「懲戒しない」と判断していたが、日弁連が覆した。日弁連の処分は4月12日付。議決書によると弁護士は2017年4月、自身が代表を務める事務所のブログに学校PTAについて木村さんが「強制加入団体ではない」と発言している、として批判する記事を載せた。PTAには「民主主義における重要な役割」があるなどと主張した上で、記事の最後で「木村草太の草太はなんとお読みするのでしょう」と言及。「PTAをクサすから、クサタでしょうか」「頭がクサっているからクサタに違いない」と記した。
2 コメント
 批判する場合も相手方への最低限の礼儀は必要である。たしかに社会的出来事は立場により見え方が異なるものであるから「批判的言論の自由」は現代社会に不可欠。不利益処分されることを恐れて自由にものが言えなくなることは問題である。しかし批判と侮辱は異なる。社会的文脈で批判する場合は対象を「相手の客観的な行為」に限定しなければならない。外貌・名前・出自・性別など個人の努力ではどうしようもない部分を揶揄する発言は慎むべきである。後者は侮辱とされる可能性が高い。本件事案もこの種の発言と評価される。

* ネット社会の進展で誹謗中傷が多く見受けられる今「侮辱」を抑止する社会的必要性が高くなっていることは否定しません。近時国会で成立した刑法改正(侮辱罪の法定刑を引き上げるもの:1年以下の懲役禁錮30万円以下の罰金を言い渡すことが出来るようになった)もこの文脈で位置づけることが出来ましょう。
* ただ政治的な対象(特に権力者)に関する「批判(侮辱)的言論」は意味が異なります。表現の自由が制約されていた昔、直接的な表現で権力者を批判すると生命の危険があったため表現者は権力層を婉曲に揶揄していました(パロディ・モノマネ・戯画化など)。その中には現代から見れば「侮辱」的なものも含まれています。それは表現の自由が制約されていたがための仇花(一種の高度な文化的表現)であったと言えましょう。現代自由主義社会では政治的対象に関する批判的言論の自由が保障されているのですから、その「客観的な行為」に対する冷静な言辞として行うべきです。ただ市民目線で冷静な言辞として行われた表現も当の政治家には「侮辱」と感じられることがあり得ます。それゆえ改正刑法には慎重な運用が求められます。