■2021年05月28日(Fri) 易者 147
 蓮如は「浄土真宗の中興の祖」と評される名僧です。蓮如がいなければ親鸞は世間人に敷居の高い難解な思想家として沈黙の闇に消え去っていたことでしょう。しかし孤独だった親鸞の思想は弟子達によって細々と引き継がれ、蓮如により強大な本願寺教団に発展してゆきます。蓮如は親鸞思想を門徒への手紙で広めました(キリスト教の「パウロの手紙」に匹敵)。蓮如の手紙で著名なのが「白骨の御文章」と呼ばれるものです。浄土真宗の葬儀でよく読まれます。【それ人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、幻のごとくなる一期なり。されば、未だ万歳の人身を受けたりという事をきかず。一生過ぎやすし。今に至りて誰れか百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日ともしらず明日ともしらず、遅れ先立つ人は元のしずく、末の露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわち2つのまなこたちまちに閉じ、1つの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいを失いぬるときは、六親眷属あつまりて嘆き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて阿弥陀仏を深くたのみまいらせて念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。】
 人生は短い。いつ死ぬか判らない。なので、戦うべきときに戦うのは当然ですが、筋を通した後は落ち着きどころを意識して早めに戦を終わらせるのが肝要。訴訟は手段であって目的ではない。紛争は空しいもの。訴訟の進行は、その後のことも考え、弁護士とよくよく協議をして決めましょう。あなかしこ、あなかしこ。