■2021年04月19日(Mon) 役者 146
 福岡市のKBCシネマで映画を鑑賞。拝見したのは「21世紀の資本」(ジャスティン・ペンパートン監督)。以下、自分なりの内容理解と感想を記す。
 フランス人経済学者トマ・ピケテイが2014年に著した「21世紀の資本」の中心的主張は単純である。資本収益率は経済成長率よりも高いということである。「資産(土地・株式・知的財産など)の生み出す利益のほうが経済全体の成長率よりも高い」という命題は「持てる者と持たざる者の格差」が一貫して拡大する事実を帰結する。この単純な命題も経済学的に実証するのは大変だ。主張を裏付けるデータを取りそろえて膨大な議論の蓄積を消化する必要があるからだ。ピケテイは多大な労力を費やしてこれをクリアし、説得性の高い議論を展開した。結果、本書は世界で300万部も売れた。純粋な経済学書としては異常な数字である。
 この映画は判り易く上記著作のエッセンスを表現する。描かれるのは200年にわたる「資本」というものの怪物的運動性である。もともと資本主義システムに「資本収益率が経済成長率より高い」属性が備わっているのならば経済格差は現在よりも拡大していたはずだ。私の理解では「資本主義の怪物性を抑え込んでいたもの」に宗教(キリスト教)対抗原理(共産主義)近代国家(領域主権)がある。資本主義は強欲から始まったのではなくプロテスタント禁欲を倫理とした(ウェーバー)。共産主義(マルクス)への恐怖は市場原理の修正として福祉を要請した。国境を不可欠とする近代国家は資本の自由な移動を抑えた。が、事後の宗教意識の希薄化(強欲の肯定)共産主義の崩壊(対抗原理の喪失)グローバリズムの膨張(多国籍企業の増加・タックスヘイブン拡散)が資本主義の暴走を招いた。その行く末は見えない。既に現れている「超・格差社会」の映像を見せつけられると絶望的な気分になる。未だこのような映画を見られることに希望を見出すべきなのであろうか。
■2021年04月14日(Wed) 学者 146
 大阪大学文学部長・金水敏教授の式辞が素晴らしかったので引用。
 ここ数年間の文学部・文学研究科をめぐる社会の動向は人文学への風当たりが一段と厳しさを増した時期であったとみることが出来るでしょう。「税金を投入する国立大学ではイノベーションに繋がる理系に重点を置き文系は私学に任せるべき」といった意見も出ました。文学部で学ぶ哲学・史学・文学・芸術学等の学問の意義はどのように答えたらよいのでしょうか?医学部・工学部・法学部・経済学部、先に挙げた学部よりはるかに少なそうです。文学部で学んだ事柄は職業訓練ではなく、また生命や生活の利便性・社会の維持管理と直接結びつくものではないということです。しかし文学部の学問が本領を発揮するのは人生の岐路に立ったときではないかと私は考えます。今日のこのおめでたい席ではふさわしくない話題かもしれませんが、人生には様々な苦難が必ずやってきます。恋人にふられたとき・仕事に行き詰まったとき・親と意見が合わなかったとき・配偶者と不和になったとき・自分の子供が言うことを聞かないとき・親しい人々と死別したとき・長く単調な老後を迎えたとき・自らの死に直面したとき等です。そのとき文学部で学んだ事柄がその問題に考える手がかりをきっと与えてくれます。しかも簡単な答えは与えてくれません。ただ、これらの問題を考えている間は、その問題を対象化し客観的に捉えることができる。それは、その問題から自由でいられる、ということでもあるのです。これは人間に与えられた究極の自由であるという言い方もできるでしょう。(2017年卒業セレモニーより)
 文学部系で学んだことが役に立つのは「逆風のとき」。弁護士の仕事は依頼者が「人生の岐路に立ったとき」に立ち会うことですから文学部系の分野で学んだことを生かせる場面は多々あります。法曹を目指す学徒には文学部系の勉強もして欲しいと私は願っています。それが「自由業」である弁護士の仕事に深みを与えます。
■2021年04月05日(Mon) 医者 146
 子どもの頃いつも鼻水を垂らしていた。服の袖は鼻水を拭うのでテカテカだった。原因はアデノイド(鼻奥の部位)肥大であった(これが慢性の副鼻腔炎を招いていた模様)。小学3年生のときに八女市の耳鼻科医院で切除手術を受け以後は鼻水が垂れ流しになることは無くなった。ひと昔前まで鼻水を垂れた子供は多くいたのだが今は全く見ない。何故だろう。(8月7日「鼻の日」に寄せて・FBへの投稿)
1 私はアデノイド切除手術の際に麻酔を為されませんでした。子供を騙くらかすような感じでアッという間に切除をされました。施術いただいたのは八女市の**先生です。昔はけっこう大胆な(?)医療でしたよね(笑)。
2 私は樋口さんより昔の世代なので八女市の**さんではやってくれず久留米大学病院の耳鼻科でした。イスに縛り付けられてのアデノイド切除手術のことは今も強く記憶にあります。よほど怖かったんでしょうね(苦笑)。
3 私の時も麻酔はありませんでした。小学1年生でしたが、イスに縛り付けられる時点から泣き叫んでいました。今から考えると大胆ですね(笑)。
4 稲刈りで指先を切った時の縫合も近くの内科で麻酔無しでした。先生から「男なら泣くな」と言われましたが、あまりの痛さに泣いた覚えがあります。
5 「麻酔と蘇生」という本を思い出しました。昔は屈強な男が患者を押さえ付けて手術しました。痛みから逃れるには気を失うしか方法がなかったのです。(終)
 ひと昔前まで結構「大胆な」医療が為されていました。「屈強な男たち」が患者をおさえつけて外科手術をするとか今では考えられないことでしょう。時代によって「何が普通の(標準的な)医療か」は移りゆくものなんでしょうね。