■2022年08月10日(Wed) 易者 159
 京都を訪れる機会を得たので以前から関心があった泉涌寺を参拝しました(上村貞郎「古寺巡礼・京都27・泉湧寺」を手引きに)。孝明天皇を含む江戸時代の天皇の墓は全て当寺の背後にあります。墓は明治の廃仏毀釈によって寺から切り離され宮内庁の管轄になりました。敗戦後は「政教分離」を定める憲法20条により更に関係が薄められて現在に至ります。以下は帰宅後にFBにアップした感想文。
 孝明天皇陵は泉涌寺背後の山麓に設けられている。意外と小さい。1866年12月11日に孝明天皇は発病。15名の医師による治療が行われた。いったん回復したものの様態が急変し血便を何度も洩らし苦しみつつ翌年1月30日崩御。35歳で急死した孝明天皇の死因は公的には天然痘とされる。が孝明天皇は健康であり回復してきた矢先の急激な悪化だったことから毒殺説が当時から噂されている。黒幕として岩倉具視・大久保利通・伊藤博文などの名前が挙がる。明確な証拠は無い(あくまで仮説)。しかし孝明天皇は長州が嫌いだった。会津藩を信頼していた。これらは表向き「尊王」を旗印にしている薩長にとって都合が悪かった。他方、後の明治天皇は当時は子供であり自分の政治的意思を形成できるはずがない。「玉」を取り替えたほうが朝廷(政治)をコントロール出来ると薩長が考えても不思議ではない。もしも薩長による毒殺説が事実であったならば、これほどの不正義が他にあろうか?
 シェイクスピア演劇には「死んだ王が暗殺者を呪うために出現する」シーンがあります。黒澤明「羅生門」には死者の霊を呼び出して尋問をするシーンがあります。もし歴史的な事象に対し仮想的(呪術的)尋問を加えることが出来るのならば私は孝明天皇毒殺者の反対尋問を担当したいと考えています。暗い政治的意思の下に隠されてしまった「不正義」を質すことができれば、と思っています。
■2022年08月05日(Fri) 役者 159
 別役実さんがインタビューで「孤独とは?」という質問にこう答えています。
 60年代の我々のような、少なくとも反体制的な人間の拠り所になっていたのは状況に対する恨み・辛みだったんです。「恨み・辛み」という形で孤独であることを理解できるときは「孤独であること」が武器であり得た。ところが時代とともにこの恨み辛みは消えていった。状況や生活が良くなったわけではないのに社会が情報化されるなどして視野が広くなったりすると「孤独であること」を確かめる拠り所としての恨み辛みが消えてしまう。80年代にほぼ消えてしまい、それに応じて個も「個」であることをやめ「孤」になっていった感がある。まとまりのある実体としての個人は消えて人間が意識だけの「点」になってしまった気がします。そうすると作品もおのずと変わらざるを得ない。点である「孤」の行動様式を形にしようとすると誰かとの「関係」の中にしか拠り所がない。それで「個人」の行動を描くのではなく「関係」の演劇になっていったんです。(2018年4月6日)
 一昔前の孤独には「孤高」という気高いイメージもありました。宮崎の「100年の孤独」なる高級焼酎はこの良いイメージを上手く利用しています。80年代以降、孤独には「寂しさ」という負のイメージが与えられ、90年代以降は孤独に対するイメージが更に悪化。それが脚本を作る際に影響を与えているとは!驚きです。現代演劇を読み解いていくのは難しい。60年代に思想の世界で発生した「実存主義(主体性を重視)から構造主義(関係性を重視)への転換」が社会意識に反映されている。即ち人の意識が「内的に持続する主体」から「外部情報に反応する客体」に変わっているように感じます。標語的には構造主義の特徴たる「主体性の否認」や「歴史性の軽視(共時性の偏重)」が社会の中に広がりすぎた、とも言えます。