■2021年01月18日(Mon) 5者 144
 田浦俊栄他「医師の開業5つの落とし穴」(幻冬舎)はこう述べます。
 借金の好きな方はあまりいません。借金という行為が嫌いな方・利息が無駄と思う方・その両方、これらの理由から融資を受ける際になるべく少額で、かつ返済期間を短くしようとする方がいます。気持ちは解りますが運転資金が少額になる上に月々の返済額を多くするという行為は資金ショートを招きやすい状況を作り出します。経営者として大間違いです。事業上の借入れは借金ではなく投資、利息は保証料だと考えを転換して下さい。信用がない方はお金を貸してもらえません。借入額が大きければ大きいほど先生は高く評価されているのです。利息は経費となりその約4割は税金を減らすことができるため、実質的な負担は利率の6割程度です。借りられる最大額を借りて理想とするクリニックを安全に成功させた後、もし借り入れが気になる場合は一括返済をしてはいかがでしょうか。(77頁)
 私は弁護士生活の中で1度だけ結構な金額について金融機関の融資を受けたことがあります。県弁副会長を引き受けた時です。副会長の仕事は激務なのでエネルギーの大半を費やさざるを得ません。自分の仕事に割く時間が消えます。既に受任している事件は何とか回していきますが新規の受任がほぼ出来ません。そのため着手金収入が激減します。他方、事務所の運営費は確実に必要です。そのために資金ショートをしないよう付き合いのあった銀行に相談しました。その銀行とは付き合いが長かったので私が希望していた額を全額無担保で快く融資頂きました。この借入金は副会長職を終わり弁護士業務が正常化した後で返済しました。幸い利息が低かったので、あまり負担感を感じることなく難局を乗り切ることが出来ました。法律事務所だって経営体ですから金融機関との上手な付き合い方は日頃から考えておくのが上策です。銀行からの借り入れは「時間稼ぎ」の良き手段でもあるのですね。
■2021年01月13日(Wed) 芸者 143
 井上章一氏は小谷野敦「日本売春史」(新潮選書)の書評を書いています。
 売春史を扱う叙述には2つの類型がある。あるものは娼婦たちの悲惨な境遇・性的な奴隷としての一面を強調する。そして、いま1つ、彼女らの文化的な輝きに目を向けるものがある。どちらもそれなりの意義を持っている。だが、その一方だけをあまりにふくらまされると、鼻白む。小谷野は中でも後者を増幅してしまう歴史に憤りを抱いているようだ。(引用終)
 近時の弁護士を扱う叙述にも2つの類型があります。1つは司法改革後の弁護士たちの「悲惨な境遇」(経済的な苦境)あるいは「反社会的な存在」(倫理的な非難対象)としての弁護士を強調するもの。この方面の叙述は昔からあって今頃始まったものでもないのですが、最近目立つのは弁護士個人の人格を揶揄するものや弁護士業界全体の将来性の無さを嘲笑するものです。私も本コラムで弁護士の苦境について自虐しているので他人事ではないのですが度が過ぎた揶揄や卑下には「いかがなものか」と感じることが多々あります。逆の方向で目立つのが「弁護士の素晴らしさ」(文化的な輝き)を増幅して描く動きです。司法改革による法曹志望者激減を受け日弁連や法科大学院関係者を中心に行われています。弁護士の活躍は社会的に見えやすいものなので「そんなに頑張らなくても良いのでは」と私は思っていますが、かなりの人為的キャンペーンが行われています。どちらもそれなりの意味を持っています。「その一方だけを」ふくらませて語られると白けてしまいますね。昔の司法試験に多くの若者が集まったのは若者が「経済的な裕福さ」に憧れただけではありませんし「正義を実現したい」という理想論に燃えただけでもありません。昔の司法試験が挑戦すべき対象として望ましく見えたのは<両者のバランスが良かったから>です。その「片方だけを増幅して描かれても」多くの若者は鼻白むことでしょう。
■2021年01月08日(Fri) 易者 143
 法律実務を生業としている私が「易者」の項目を立て占いや宗教についての論考を書き続けていることに「奇異な感じ」を受けている方も相当数いるでしょう。小川仁志「哲学の最新キーワードを読む」(講談社現代新書)に次の記述があります。
 社会学者のマックス・ウェーバーは、キリスト教支配が終焉した後の近代の状況を「脱魔術化」という言葉によって表現した。宗教の魔法が解け世俗化が進むだろうという予測である。実際、少なくともヨーロッパ社会においては近代以降、世俗化の方向に向かったように見えた。ところが次第に明らかになっていったのはそれとは全く逆の事態が生じているという現実であった。グローバル化が進展する今、むしろ「再魔術化」と呼ぶべき事態が生じている。(略)世の中が不安定になると当然人々の不安は増大する。その中で宗教に依存する人たちが増えるのはある種必然だ。世界の合理化は必ずしも世の中の安定をもたらさなかったのである。それどころか21世紀に入りグローバル化という名の混乱がその不安定化に拍車を掛けている。
 科学は「合理性」を旗印にして人間を理解してきました。近代法も「脱魔術化」の文脈で体系化されてきました。この近代法を基礎にして現代の法律実務は構築されており、この意味での法律学が「再魔術化」されることはあり得ないと私も考えます。が、法律実務の前提となる人間の理解に関して言えば「脱魔術化」の力が弱くなっているような気がします。近代を彩ってきた未来への希望が色あせ不安が増大した21世紀において、実際に生じる事件とこれを産み出す人間のあり方は「再魔術化」の様相を見せ始めています。弁護士が仕事の上で占いや宗教を論じることは普通ありませんが、21世紀に生きる我々が社会や人間を論じるにあたって占いや宗教を理解しておくことは極めて重要なことではないかと私は感じております。