■2021年07月23日(Fri) 医者 149
 鳥集徹「医学部」(文春新書)に次の記述があります。
 筆者も解剖実習の様子を取材し学生たちに話を聞いたことがある。彼らが口々に言うのは「解剖実習を体験して医師になる自覚が強くなった」「はじめて医学生らしい勉強をして人間として成長した」という言葉だ。3年前に解剖実習を経験した私大医学部5年生(女性)もこう話す。「ご遺体を前にして最初はみな緊張していたと思います。亡くなったといっても人間の形をしており『命を預かったんだな・勉強しないと』と強く思ったことを覚えています。そのうちに回数を重ねて慣れてくると真面目に取組まない学生も出てきますが、そういう人は医師としての適性がないのでは?と怒りすら感じました。」(113頁)
 修習生の頃、私も法医学教授による遺体解剖に立ち会いました(医者24・2009年1月17日)。座学ではなく、実際に本当の遺体を目の前にしたときに感じる厳粛な感じは(法学医学を問わず)勉強中の者に強い印象を与えます。修習生にとって遺体解剖は特殊な場面です。が、身体を拘束された人に面会し話を聞くのは修習生にとって「日常」となります。最初は手錠をされて法廷に入ってくる被告人の姿に驚き接見室のアクリル板越しに対面する被疑者の姿に緊張感を覚えます。しかし、回数を重ねると「慣れ」が生じてくる。その慣れは実務家として必要なものでありますが、それは身体の自由を失った人に対する厳粛な思い(初心)を喪失してしまうこと即ち「人間として大切な何かを失ってしまうこと」に通じます。かような厳粛な場に立ち会えるのは「専門的職業人」としての将来が約束されている医学部生ないし修習生という特殊な立場にあるからです。ロースクールが司法修習の機能を絶対に代替できないのはこういった厳粛な場を提供できないことにも起因します。
■2021年07月19日(Mon) 5者 149
 精神科医中井久夫先生は評論家浅田彰氏との対談でこう述べています(文藝別冊「中井久夫・精神科医のことばと作法」河出書房新社)。>医学はしょせん敗北する技術ではあるけれども、一方でとりあえずの技術でもある。工学者は100年経たないとこういう橋は架けられないと言えるだろうけど、頭の病気は100年たったら治せるはずだからそれまで待ってくださいとは言えない。アズ・イフでやってますからね。そういうマジカルな部分が給料のかなりの部分を占めているわけです。最後は鎮魂です。症状を取るとか、そんなことはどうでもいいので、最後は居直って言えば魂鎮め(たましずめ)だね。急性の病気は治せるけど慢性の病気は完全復元はない。それは技術が未熟というのではなくて、病んでいることが個人史の一部になるわけだから。だから心情的に納得して初めて「治る」のでしょうね。(155頁)
 我々の仕事にも妥当します。損害賠償請求事件(被害者側)を念頭に記述します。
弁護士実務は「本当の意味での正義」を実現するものではなく「しょせん敗北する技術」ではあるけれども、一方で「とりあえずの正義を実現する技術」でもある。宗教者は倫理的見地から正義が「100年たてば実現する」と言えるかもしれないが、目の前の正義は「100年たてば実現するだろうからそれまで待ってください」とは言えない。司法制度もアズ・イフでやっている世界。そんな「マジカルな部分」がかなりの部分を占めている。最後は「鎮魂」ですよ。目の前の損害を回復するために賠償金を取ることを「どうでもいい」とまでは言わないにしても、居直って言えば「魂鎮め」に過ぎません。金銭的救済は出来ても身体的な被害や大事な人を失った方の心の痛みは絶対に消せない。これは法律制度が未熟云々というものではなくて、本質的なものです。そういう被害に遭った事実こそが個人史の一部になるわけだから。なので被害者が事件を心情的に納得して初めて「鎮まる」のでしょうね。
■2021年07月09日(Fri) 芸者 148
 東山広久「プロカウンセラーの聞く技術」(創元社)に以下の記述があります。
 「カウンセラーは人から秘密の話ばかり聞かされていて変になりませんか」とか「カウンセラーは自分たちの精神衛生をどのようにされているのですか」と良く聞かれます。(略)ではどうすれば良いかといいますと聞いた話を忘れることなのです。悩みを打ち明けた人はたまらないじゃないかと思われるかもしれません。でも考えてみて下さい。カウンセラーがいつまでも聞いたことを忘れず、話した当人が解決して忘れてしまっていることを他人に覚えられている方が気持ち悪いと思いませんか?
 弁護士も他人の秘密に触れることが多い職業です。毎日のように他人の秘密に触れているとも言えます。こういう行為を職業としていない方からみれば「刺激的な」毎日かもしれません。私も修習生の頃は見聞した話を詳しく記憶していました。しかしこれを職業として繰り返していくと、自分の中に変化が生じます。秘密の話を毎日聞かされていても刺激的に感じない(自分の精神衛生を保つための)魔法の力が生じてくるのです。それは忘却力。普通の人が他人の秘密を強く記憶するのは、それが非日常的事象だからです。話はその都度「新規保存」されます。が、弁護士はそれが日常なので新しい話は「上書き保存」されます。新しい話を仕入れる度に古い話を忘れていくのです。人間の脳には容量があって、それを超えて他人の話を蓄えることなど出来ません。それゆえ新しい話の数だけ古い話を忘れるのです。依頼者の話を詳細にメモを取ることは必須で、メモの取り方如何で弁護士の作業効率は格段に変わります。こんなこと書くと「悩みを打ち明けた依頼者はたまらないじゃないか」と思われる方がいるかもしれません。しかし弁護士が依頼者から聞いたことを忘れず、いつまでも長期間覚えられているほうが「気持ち悪い」と思いませんか?
■2021年07月05日(Mon) 易者 148
 ロバート・キャンベルさんが「井上陽水英訳詞集」を発刊されました(講談社)。引用するのは作品刊行を記念して行われたインタビュー(ブロゴス)での発言。
 「とまどうペリカン」という曲はペリカンがライオンを追いかけている状況を歌ったものです。それほど英語は難しくないのですが翻訳に満足しなかったので、ライオンとペリカンの関係性を考え直してみることにしました。私は若い頃にこの曲を聴いていて、たてがみを揺らし強そうに前を歩くライオンが男で、後をついていくペリカンが女だと理解していたのですが、いざ翻訳してみると、だんだん逆のように思えてきた。もしそうなら英語の調子も少し変わってくるんじゃないかと思って陽水さんに聞いてみたんです。そしたら「それに1票。実は僕も最近歌っていてライオンはメスじゃないかと思うようになったんだ」とおっしゃって。ライオンはすごく強くて素敵な女性なんだけど、百獣の王として振る舞うからその後始末をしなければならないのはペリカン。そのペリカンがうかつに近づくと爪でやられてしまう(笑)。だから最後に「私はとまどうペリカン」となる。もちろん正解があるわけではないのですが、陽水さんの詞の世界には字面から読み取れるものだけでなく、常にいくつかの扉が開いている。だから、世代を超えて、それぞれが「自分のストーリー」のように思えるんでしょうね。(2019/5/17)
 卓見です。私も強そうに前を歩くライオンが男・後をついていくペリカンが女だと思ってきました。しかし歳を重ねてみると全然そうじゃないと感じます。昔、美輪明宏さんは「私は『強い男』と『弱い女』に逢ったことがない」と喝破されました。これは真実です。「男は悲しいくらいに弱い・こんなに弱い男がライオンであるはずがない。女はむちゃくちゃ強い・こんなに強い女がペリカンであるはずがない。」そう考えるほうが精神衛生に良いと私は思っています。「私はとまどうペリカン」